南砺市指定史跡 土山御坊跡
土山御坊の概要
土山御坊跡の説明板と石碑
土山御坊跡の説明板と石碑
土山御坊は、富山県南砺市土山(旧・福光町)にある山城です。御峰城、土山砦、土山城とも言う。現在は南砺市指定史跡に指定されています。
この土山御坊は、文明3年(1471年)に本願寺6世巧如の次男であった加賀国二俣本泉寺住持如乗の妻であった勝如尼(本願寺5世綽如の三男周覚の娘)によって創建されたと伝えられています。なお、実際には御坊には本願寺8世蓮如の四男蓮誓が入っています。なお、蓮如が杉浦万兵衛宅に逗留していた時に建てられたという説もあり、説明板にもそのように記述されています。杉浦氏は、この後は本願寺派の有力な坊官として活躍しています。
この後は土山御坊は越中国瑞泉寺や越中国善徳寺とともに越中一向一揆の最重要拠点として発展しています。
文明13年(1481年)2月、礪波郡に勢力を誇った越中国福光城主石黒光義が加賀国守護富樫政親の要請を受けて、医王山惣海寺と組んで瑞泉寺ら一向一揆勢と戦うが田屋川原の戦いで大敗を喫して滅亡してしまいます。これにより礪波郡は徐々に一向一揆衆の勢力下に組み込まれていくことになります。この戦いでは、土山御坊は加賀国門徒に働きかけて背後から惣海寺、福光城を攻撃させたと考えられていて、重要な働きをしていることが伺えます。
明応3年(1494年)には土山御坊が蓮誓によって越中国礪波郡高木場(現・南砺市高窪)に移転されています。高木場は、土山の地よりも加賀との国境に近く、現在では国道304号線が走っていて、土山よりも交通の便が良い場所と考えられます。土山では余りにも山深く不便だったのでしょうね。
蓮如上人像
蓮如上人像
永正・大永年間(1504年 - 1527年)には、向田孫右衛門尉が家臣の稗田甚助とともに土山御坊跡に拠り、向田孫右衛門尉は一向宗に帰依したと言われています。このあたりはこの時点でも一向一揆の勢力下であったことが伺えます。
永禄・天正年間(1558年 - 1591年)には神保氏家臣、上田左近が土山城に拠って、敵を防いだと伝えられています。
この地は加賀、越中の国境に近く要衝の地だったので、戦略的価値が高く、神保氏が使用していたということでしょうが、神保氏の一向一揆への対処は一貫性を欠いていたので、この城を使用していたときに一向一揆との関係がどうだったのかはわかりかねます。
天正12年(1584年)には、佐々成政が前田利家に対する防衛拠点の一つとして土山城を改修して御峰城を築き、稗田善助、青木孫右衛門を入れてこれを守らせています。
しかし、その直後には豊臣秀吉との直接対決が不可避となり、佐々成政は攻勢から守勢に陥り、富山城に兵力を集中させて敵を領内で迎え撃つ戦術へと移行したため、この御峰城も放棄されたと思われます。
佐々成政が富山の役で秀吉に降伏し、越中が前田領となってからは再び杉浦氏が居住することになり、江戸時代にわたって栄えたと言われています。
明応3年(1494年)に土山御坊が高木場に移転した後、火災により焼失してしまい、永正16年(1519年)に富山県小矢部市末友へ移転しています。これが安養寺御坊です。ここが天正9年(1581年)4月に木舟城主石黒成綱の攻撃を受けて焼亡し、天正12年(1584年)に富山県高岡市伏木古国府の地に再建されて現在の勝興寺となっています。
その後、江戸時代には前田家の手厚い保護を受け隆盛を極め、現在に至ります。
御峰城は、越中国と加賀国の国境に近い御峰山(標高261m)の頂上部から麓の平坦地にかけて築かれた山城です。
四方を谷に囲まれていて、郭、土塁、堀切が遺構として残っていて、西には「ゴモン」という地名と枡形虎口、堀切の遺構が残っています。御峰城と土山御坊の遺構は重複していて、御坊跡とされる平坦地は東西30m、南北25m程度と比較的狭い範囲ですが、、その南には本願寺の支援者だった土豪、杉浦万兵衛の屋敷と伝わる「万兵衛屋敷」と呼ばれる場所が残っていて、これは東西約70m、南北約60mの方形で周囲には空堀を備えていた。また当時の本願寺連枝系寺院特有の施設の名称である「オチン(御亭)」と呼ばれる小山のようなのような地形もあり、実際に登ってみると自然の地形とは思えず、小さな山を削ったか土をある程度盛り上げたような地形です。櫓台でもあったのかも知れません。
現在の土山御坊は、当時あったといわれる庭園が復元されています。石碑と案内板が建てられていて、トイレもあります。
また蓮如上人像、杉浦氏墓地もあり、なかなかですので訪れると良いでしょう。
土山御坊跡
住所 富山県南砺市土山 形式 山城 (標高261m/比高250m)
遺構 郭 土塁 堀切 枡形虎口 復元庭園 築城者 蓮誓
施設 石碑 案内板 トイレ 城主 一向一揆勢、神保氏、佐々氏
駐車場 特にない 築城年 文明3年(1471年)
文化財 南砺市指定史跡 廃城年 天正13年(1585年)頃
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