あいの風とやま鉄道 東富山駅
東富山(ひがしとやま)
新富山口東富山水橋
所在地 富山県富山市東富山寿町三丁目
所属事業者 あいの風とやま鉄道・JR貨物
所属路線 あいの風とやま鉄道線
キロ程 48.2km(倶利伽羅駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員 1,477人/日(2004年)
開業年月日 1908年11月16日
駅種別 業務委託駅
東富山駅
東富山駅
2面3線ホーム 東富山駅に停車するサンダーバード
2面3線ホーム 東富山駅に停車するサンダーバード
Kioskは、自販機になってしまっています 島式ホームとは跨線橋で連絡しています
Kioskは、自販機になってしまっています 島式ホームとは跨線橋で連絡しています
東富山駅(ひがしとやまえき)は、富山県富山市東富山寿町三丁目にある、あいの風とやま鉄道線・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。
2015年3月14日の北陸新幹線開業による経営移管までは、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線の駅であった。

駅構造

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である。このほか数本の側線も有している。1番線ホーム下り方面の側線には、保守用車輌が留置されている。西口駅舎内にはかつてキヨスクが営業していたが、1999年(平成11年)3月28日を以て閉店した。駅構内には自動券売機と待合室のほか便所がある。
JR西日本北陸本線時代末期は、富山地域鉄道部が管理し、ジェイアール西日本金沢メンテック(現:JR西日本金沢メンテック)が駅務を受託する業務委託駅であった。あいの風とやま鉄道の経営移管後も業務委託駅の形態は維持されたが、みどりの窓口は経営移管に合わせて営業を終了している。
当駅の東側では宅地等の造成が行われていることから、2021年(令和3年)3月28日には、新たに東口改札が開設されている。
駅周辺は、富山市立大広田小学校、富山市立北部中学校、私立高朋高等学校、富山県立富山東高等学校、富山県立富山北部高等学校、東富山駅前郵便局、東富山体育館、東富山温水プール、東富山テニスコート、富山県岩瀬スポーツ公園、富山市民球場アルペンスタジアム、不二越工場、富山県済生会富山病院など施設が多数存在します。
のりば
ホーム 路線 方向  行先 備考 
1 あいの風とやま鉄道 下り  魚津・泊・糸魚川方面  
2 上り  富山・金沢方面 一部の列車
3  
  • 2015年(平成27年)3月14日時点で、2番線を使用する定期旅客列車は、1日につき上下1本ずつである。

到着メロディ

  • 2017年(平成29年)3月の新旅客案内システム導入に伴い、他の富山市内の駅と共通で、2012年(平成24年)に「富山県ふるさとの歌」として制作された「ふるさとの空」(久石譲作曲)のイントロ部のアレンジが到着メロディとして使用開始された。
貨物取扱

JR貨物の駅は、車扱貨物の臨時取扱駅とされているが、貨物列車の発着はない。ただし、『鉄道要覧 平成28年度』所収の路線図からは当駅の記述が削除されている。貨物の荷役設備は特に設けられておらず、専用線も当駅には接続していない。1987年(昭和62年)4月1日のJR貨物発足当時は、車扱貨物を取扱う駅であったが、その後1996年(平成8年)3月16日より車扱貨物の取扱は臨時となった。
1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。
  • 不二越鋼材工業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁)
1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。
  • 不二越鋼材工業線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁)
1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。
  • 不二越東富山製鋼所線(通運事業者:日本通運及び富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁)
  • 大協石油線(通運事業者:富山通運、動力:富山通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:0.4粁)
  • 岩谷産業線(通運事業者:富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.1粁、備考:当専用線は大協石油線に接続する)
1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。
  • 不二越東富山製鋼所線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁)
  • 四日市油槽線(通運事業者等:富山通運、動力:富山通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:0.4粁)
  • 岩谷産業線(通運事業者等:富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.1粁、備考:当専用線は四日市油槽線に接続する。但し使用休止中。)
なお上掲の専用線は1990年代までにすべて廃止され、当駅構内の貨物用側線は撤去されている。

歴史

  • 1908年(明治41年)11月16日:官設鉄道北陸線富山駅 - 魚津駅間が開業し、上新川郡豊田村に東岩瀬駅として一般駅として開業する。これに合せて同年10月には駅前道路(現在の富山県道173号千原崎東富山停車場線)が完成していた。
  • 1909年(明治42年)10月12日:線路名称が制定され、北陸本線の所属駅となる。
  • 1913年(大正2年)10月17日:当駅構内の本線上で下り貨物列車と上り団体列車が衝突する事故が発生する(東岩瀬事故)。
    • 日本ではこの事故を教訓として安全側線の整備がすすめられた。富山市田畑の宝集寺にある「今庄団体遭難者追弔碑」は、この事故による犠牲者を弔うために建立されたものといわれる。
  • 1918年(大正7年)8月1日:構内に東岩瀬電信取扱所を設置する。
  • 1919年(大正8年):本年度中、跨線橋の改修を行う。
  • 1926年(大正15年)7月3日:当駅 - 水橋駅間に浜黒崎仮停車場が開業する。
  • 1938年(昭和13年)9月:駅前に不二越鋼材工業株式会社東岩瀬工場が設置され、県による東岩瀬臨海工業地帯造成事業の策定も相俟って、当駅は工業地帯への貨物駅と位置づけられ、当駅東岩瀬港間直通貨物線も着工されたが、戦火のため1944年(昭和19年)8月操業開始の不二越萩浦工場以遠区間の完成には至らなかった。
  • 1941年(昭和16年)3月31日:都市計画富山地方委員会が、東岩瀬停車場線の幅員を21米に拡幅し、当駅駅前に0.24ヘクタールの広場を設定する旨を決定する。
  • 1948年(昭和23年)8月30日:当駅 - 水橋駅間の浜黒崎仮停車場が廃止される。
  • 1950年(昭和25年)5月20日:富山港線越中岩瀬駅の東岩瀬駅への改称に合わせ、東富山駅に改称する。
  • 1958年(昭和33年)4月10日:当駅 - 富山駅間から分岐し、富山港線蓮町停車場に至る路線において貨物運輸の営業を開始する。
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月:跨線橋が完成する。
    • 7月30日:当駅 - 富山操車場間が複線化する。
    • 8月25日:富山操車場 - 泊駅間が交流電化する。
  • 1966年(昭和41年)12月3日:当駅 - 水橋駅間が複線化する。
  • 1979年(昭和54年)4月7日:当駅駅前に111台が収容可能な自転車置場を設置する。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃止する。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:当駅 - 蓮町間における連絡線において貨物運輸の営業を廃止する。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。日本貨物鉄道(JR貨物)の駅は、車扱貨物を取扱う。
  • 1992年(平成4年)11月:みどりの窓口の営業を開始する。
  • 1996年(平成8年)3月16日:日本貨物鉄道(JR貨物)の駅において営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を臨時化する。
  • 1997年(平成9年)7月10日:各種企画乗車券や航空券等の取扱も可能なマルスシステムを導入する。
  • 1999年(平成11年)3月28日:当駅構内のキヨスクが閉店する。
  • 2000年(平成12年)4月:夜間無人駅となる。
  • 2013年(平成25年)1月11日:当駅事務所の窓ガラスが何者かによって割られる事件が発生する。
  • 2014年(平成26年)6月17日:当駅 - 富山駅間に開業を予定している新駅の設置箇所が決定する。
  • 2015年(平成27年)
    • 3月13日:この日をもってみどりの窓口の営業を終了。
    • 3月14日:北陸新幹線金沢延伸開業に伴い、JR西日本の駅はあいの風とやま鉄道へ移管。
    • 3月26日:あいの風とやま鉄道の駅でICカード「ICOCA」供用開始。
  • 2021年(令和3年)3月28日:東口の供用開始。