南砺市指定史跡 井波城跡
井波城の概要
本丸跡に建つ井波八幡宮
本丸跡に建つ井波八幡宮
井波城は、富山県南砺市井波にある平山城です。「礪波城」「瑞泉寺城」とも呼ばれています。現在では南砺市指定史跡に指定されています。
標高143mの八乙女山の裾に築かれた平山城ですが、実際に訪れるとむしろ平城に近いという印象を受けます。本願寺勢力下の越中一向一揆の総本山・瑞泉寺によって建てられた城郭伽藍で、城域は東西250m、南北230mとかなり広大です。本丸、二の丸、三の丸の三つの曲輪を有していて、二の丸が最も広く、城中央部には枡形虎口が残っています。城の北側を除く三方は巨大な土塁で囲まれており、その上には要所ごとに櫓台が建てられていました。
城の南北は幅20mにも及ぶ広大な堀に囲まれていて、かなり堅固な城です。
現在では本丸跡には瑞泉寺の東側にある井波八幡宮が建っていて、その東側には庭園のある白浪水があります。
更にその東側が古城公園となっている二の丸跡であり、ここには井波招魂社社殿が建っています。
なお、三の丸跡には井波八幡宮宮司である綿貫民輔氏邸宅が建っています。
この井波城跡地は井波の市街地にあり、遺構はかなり破壊されていますが、かなり大規模な高い土塁が本丸跡と二の丸跡の北側を除く三方を取り囲むように残されています。
古城公園となっている二の丸跡
古城公園となっている二の丸跡
本丸跡の井波八幡宮には、城の井戸であったという臼浪水が今も残されています。また二の丸跡の大手口には、樹齢五百年とも言われる「松島大杉」の巨木が今も健在です。
実際にここを訪れるとどちらかというと街の中に城跡があるという感じですが、土塁や曲輪などの遺構もそれなりに残っていて、一見の価値があります。
明徳元年(1390年)に本願寺5世綽如によって井波城の前身である瑞泉寺が創建されています。
文明13年(1481年)2月には、礪波郡に勢力を誇った越中国福光城主石黒光義が医王山惣海寺と組んで瑞泉寺らと戦うが敗退し(田屋川原の戦い)、これによって石黒氏宗家は力を失い、それに代わって瑞泉寺率いる一向一揆勢の影響力が強まる結果になっています。
文明16年(1484年)頃には土豪や武士団との抗争が激しかったために、本願寺8世蓮如の次男である瑞泉寺3代蓮乗が周辺の武士団への防衛手段として寺を城塞化しています。ただし実際にはこの時、蓮乗は加賀国二俣本泉寺にて病床にあり、築城の指揮は後の4代蓮欽によるものと考えるのが妥当でしょう。
永禄年間(1558年-1569年)、瑞泉寺6代証心が越中に侵攻してきた上杉謙信と争うようになり、天正3年(1575年)には、瑞泉寺は上杉謙信と和睦しています。この頃には瑞泉寺は三百七十寺を擁していて、礪波郡南部を実質的に支配していて、井波の町も大いに栄え「町屋三千軒」と称されたと言われています。つまり
本丸跡に今も残る臼浪水
本丸跡に今も残る臼浪水
井波町は、城下町であり門前町でもあったわけですね。
しかし上杉謙信の死後は、織田家の勢力が越中に伸びてきて、天正9年(1579年)、瑞泉寺7代顕秀の時に織田信長配下の佐々成政に攻められて井波城は落城し、堂舎・町屋も悉く焼亡しています。敗れた一揆勢は五箇山へと逃れています。
佐々成政は配下の前野小兵衛勝長を井波城城主に置いてこれを守らせています。さらにこの時に井波城の大改修が施されていますが、阿弥陀堂跡が本丸となり、祖師堂跡が二の丸、太鼓堂跡が三の丸になったと伝えられています。三方を囲む土塁もこの時に作られたといわれています。と言うことは、それ以前はけっこう無防備な城だったということになりますが。
天正13年(1585年)の富山の役の際には、佐々成政は富山城に兵力を集中させるという作戦を採ったため、前野勝長は事前に井波城を出て成政の本城である越中国富山城へと退いています。しかし前野勝長は秀吉方の丹羽長重の陣に攻撃をかけて戦死したといわれています。富山の役ではさほど大規模な戦いはなかったのですが、前田家も戦死者の供養をしていますし、小規模な戦いがあったことは間違いありません。
佐々成政が降伏した後は、井波城は前田家の持城になりますが、佐々成政が肥後に去ったため既に井波城の戦略的価値はなく、時を置かずして廃城となったと思われます。
さて、例によって我が軍がこの城を攻めるとすればどうするかですが、当時はこの城を水堀が囲んでいたものの一重のみであるし、城の北側の守りが他に比べて手薄いのでここから攻めれば良いでしょう。
実際にここを訪れても地形的には平山城と言うよりも平城に近いので、攻めるのはさほど難しくないと思います。

二の丸跡にある井波城址説明版 二の丸跡にある井波招魂社の鳥居
二の丸跡にある井波城址説明版 二の丸跡にある井波招魂社の鳥居
二の丸跡の大手口にある巨木「松島大杉」 松島大杉の説明版
二の丸跡の大手口にある巨木「松島大杉」 市指定文化財「松島大杉」の説明版
二の丸土塁にある門 本丸跡にある臼浪水庭園の石垣
二の丸土塁にある門 本丸跡にある臼浪水庭園の石垣
本丸にある井波八幡宮 本丸にある土塁跡
本丸にある井波八幡宮 本丸にある土塁跡
本丸にある蚕堂覆屋 蚕堂覆屋の説明版
本丸にある蚕堂覆屋 蚕堂覆屋の説明版
本丸にある土塁と石垣 本丸土塁の櫓跡からみた井波八幡宮
本丸にある土塁と石垣 本丸土塁の櫓跡からみた井波八幡宮
本丸にある土塁と石垣 三の丸跡にある井波八幡宮宮司邸
三の丸跡から本丸跡への石垣 三の丸跡にある井波八幡宮宮司邸
本丸跡にある臼浪水への門 本丸跡にある石垣
本丸跡にある臼浪水への門 本丸跡にある石垣
臼浪水は庭園跡となっている 臼浪水は今でも水があったりします
臼浪水は庭園跡となっている 臼浪水は今でも水があったりします
臼浪水佛堂 臼浪水庭園の石垣の内側は三段になっています
臼浪水佛堂 臼浪水庭園の石垣の内側は三段になっています
二の丸への大手口 松島八幡宮
二の丸への大手口 松島八幡宮
井波城跡
住所 富山県南砺市井波古城公園 形式 梯郭式平山城・城郭伽藍
遺構 曲輪・櫓台跡・土塁・堀・井戸・庭園跡・蚕堂 築城者 一向一揆勢力(瑞泉寺)
施設 説明板   城主 一向一揆勢力(瑞泉寺)
駐車場 本丸・二の丸部分に駐車スペースあり 築城年 文明16年(1484年)
文化財 南砺市指定史跡(城跡・臼浪水)南砺市指定文化財(松島大杉) 廃城年 天正9年(1581年)4月
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井波城跡
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