国宝 犬山城
概 要
犬山城天守
犬山城天守
国宝犬山城は、愛知県犬山市にある城で、現在は江戸時代前後に建造された天守が現存します。
また、現存天守は国宝に指定された4城のうちの一つです。
この犬山城は木曽川沿いの高さ約88メートルの丘に築かれた平山城です。別名、白帝城と呼ばれています。
白帝城は、三国志の舞台ともなり、あの劉備玄徳が崩御した城としても有名です。残念ながら三峡ダムの完成によって白帝城は水没してしまうことになります。
白帝城という別名は、木曽川のほとりにある犬山城を長江のほとりにある白帝城になぞらえて荻生徂徠が命名したものと伝えられています。
犬山城の天守は外観3重、内部4階、地下に踊場を含む2階が付きます。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守です。地階1・2階出入口を含めて、総延面積は698.775平方メートルとなります。天守台石垣は野面積みという積み方で、高さは5m、天守の高さは19mとなります。
野面積み(のづらづみ)は、技術的には初期の石積法で、自然石をそのまま積み上げる方法です。
この犬山城は、1469年(文明元年)に織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりといわれています。
1537年(天文6年)信長の叔父である織田信康が現在の位置に城郭を造営して城に入りました。現存する天守の2階まではこのころ造営されたと考えられています。
天守から見た木曽川
天守から見た木曽川
1544年(天文13年)には信康が斎藤道三との戦いで戦死し、その子の織田信清が城主となるも、1564年(永禄7年) 織田信長と対立し、信長によって城を奪われて逃亡しています。
以後は織田信長の領地となり、その配下に城が与えられるようになり、池田恒興や織田勝長など信長が信頼する武将が城主を務めています。
本能寺の変後、信長の次男である織田信雄の配下の中川定成が城主となっています。
1584年(天正12年) 突如として、かつての犬山城主でもあった池田恒興によって奇襲を受けて奪われています。
このことは本来織田信長の重臣であった池田恒興が裏切り、秀吉方について織田信雄、徳川家康らに攻撃を開始したことになり、この後の小牧・長久手の戦いの引き金の1つとなっています。しかし小牧・長久手の戦いで池田恒興は戦死してしまいます。
戦後は秀吉との和睦により再び織田信雄の城となり、彼の配下が城主になっていますが、信雄の失脚後は三好秀次の実父三好吉房が城主を務めています。豊臣時代には石川貞清が城主となっています。しかし石川貞清は関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、戦後は所領を没収されています。
関ヶ原戦後の1601年(慶長6年) 家康四男の松平忠吉が尾張国清洲城52万石に入部すると、家康の命でその付家老となった小笠原吉次が城主となっています。
屏風絵
屏風絵
1607年(慶長12年)には松平忠吉が死去し、小笠原吉次が江戸に召し返された後、平岩親吉が尾張名古屋藩主となった徳川義直の付家老として城主となっています。
1617年(元和3年) 親吉が没した後、6年間の城主の空白期間を経て、尾張藩付家老の成瀬正成が城主になっています。
以後徳川時代を通じて成瀬家9代の居城となりました。
明治の廃藩置県で廃城となり、天守を除いて櫓・城門などほとんどが取り壊されています。
1891年(明治24年)の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れため、1895年(明治28年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡されています。
また1959年の伊勢湾台風でも被害を受けたため、1961年から1965年まで解体修理を行っています。
かつては、石川貞清が美濃国金山城の天守をこの城へ移築したという伝承があったのですが、この際の調査の結果、移築の痕跡がまったく発見されなかったため、移築説は現在は否定されています。
現存する天守は、1935年(昭和10年)に国宝保存法に基づき当時の国宝(旧国宝)に指定され、1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づき、あらためて国宝に指定されています。
2004年(平成16年)3月までは日本で唯一の個人所有の城であったのですが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されています。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(43番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始されています。
犬山城石碑 猿田彦神社
犬山城石碑 猿田彦神社
三光稲荷神社 犬山城への石段
三光稲荷神社 犬山城への石段
石段はけっこう急だったりします 石段の両側にも石垣が連なっています
石段はけっこう急だったりします 石段の両側にも石垣が連なっています
大手門は復元されたものです 犬山城天守は国宝に指定されています
大手門は復元されたものです 犬山城天守は国宝に指定されています
石落としの間 鬼瓦と鯱瓦
石落としの間 鬼瓦と鯱瓦
各地の城の写真 天守から直下を見る
各地の城の写真 天守から直下を見る
犬山城管理事務所
住所 愛知県犬山市犬山北古券65-2
電話 0568-61-1711(犬山城管理事務所)
開館時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日 12/29~12/31 展示物の変更・整理期間
登閣料  大人500円 小・中学生100円
駐車場 30台(史料館南・北) バスの駐車場は犬山城の南側にもあります。
犬山城
住所 愛知県犬山市犬山北古券 形式 連郭式平山城 現存天守:複合式望楼型 3層4階地下2階
遺構 現存天守 石垣 土塁 築城者 織田広近
再建造物 櫓 門(模擬)   城主 織田氏 池田恒興 中川定成 三好吉房 石川貞清 
小笠原吉次 平岩親吉 成瀬氏
駐車場 有料駐車場あり 築城年 文明元年(1469年)
文化財 国宝(現存天守) 廃城年 明治4年(1871年)
 スライドショー
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国宝 犬山城マップ
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