魚津市指定史跡 北山城跡
北山城の概要
北山城への入り口
北山城への入り口
北山城は、富山県魚津市北山にある山城です。別名、金山谷城、金山城とも呼ばれています。現在は魚津市指定史跡となっています。
築城時期については明確ではありませんが、椎名氏の本城松倉城の支城群の1つとして戦国期に城が築かれたと考えられます。
城主が誰だったのかもはっきりしませんが、椎名氏の持城だったと考えられるので椎名氏一族か椎名氏重臣が城に入ったと考えるのが妥当でしょう。
戦国期にはいると、松倉城周辺は、椎名氏の支配下にあり、支城群を構築していました。
その後、椎名氏は神保氏に押され、長尾氏(上杉氏)の傘下に入りますが、永禄11年(1568年)に椎名氏が上杉氏を裏切り武田氏に付いたため、永禄11年から12年(1568~69年)にかけて上杉謙信が松倉城の椎名氏を攻めています。椎名康胤は、永禄13年(1570年)にはとうとう松倉城を追われています。この際に北山城も上杉氏の手に落ちたと思われます。
この後は、上杉氏が城に在城したと思われますが、やがて天正10年(1582年)には織田軍が魚津城、松倉城を攻めていて、最終的には、上杉氏が越中を追われていて、松倉城周辺は佐々成政の手に落ちています。北山城も佐々氏の手に落ちたと思われますが、現在の北山城の遺構を見ると佐々成政が改修したと思われる形跡が見られないので、この後、城は放棄されたのかも知れません。
北山城説明板
北山城説明板
もちろん前田氏がこの城を改修したという形跡も見られません。
また佐々成政が越中を去った後は、越中一国が前田氏の所領となっているので、北山城の戦略的価値もこの時点ではほぼなくなっていて、いずれにしてもほどなく廃城となってのではないかと推測されます。
現在では城跡まで舗装道が伸びていますので、自動車でも簡単に訪れることが可能です。
北山城は、松倉城の北方約1,.7kmにある標高310mの独立丘陵の上にあり、細長い尾根上にL字形に郭を持っていて、その城域は250m×70mに及びます。城跡は整備され、公園になっていますが、説明板や石碑比がある郭は一段高くなっていて、ここが櫓台跡だと思われます。南側の主郭は最も高くなっていてここが主郭のようです。その南側には堀切があります。
郭、櫓台、堀切以外の遺構はあまり明確には残っていないのですが、公園として整備されていて、探索しやすいのでここを訪れる価値は充分にあるでしょう。
ただ、前述したように枡形虎口だとか畝状竪堀だとかの高度な技術は見られませんし、土塁の類すら見かけないのが難点です。まあ、藪がないのが救いです。
でもこの城は、高所にあることで守られている感じの城で大軍が本気で攻めてきたらとても守りきれるような城ではなく、籠城向きではないと思われます。もっとも当時は土塁の類がもっと明確にあったのでしょうが。

展望台 石碑
展望台 石碑
櫓台 四等三角点
櫓台 四等三角点
堀切 主郭
堀切 主郭
北山城跡
住所 富山県魚津市北山 形式 連郭式山城 (標高310m/比高250m)
遺構 郭 土塁 石塁 堀切  築城者 井上俊清
施設 案内板 城主 井上俊清 桃井直常 椎名氏 上杉氏
駐車場 わずかに駐車スペースあり 築城年 南北朝期
文化財 魚津市指定史跡 廃城年 不明
 スライドショー
スライドショーの使い方

 3つのボタンで画像を移動できます。
 
 最初・・・最初の画面に戻ります。

 戻る・・・一つ前の画像に戻ります。

 次へ・・・次の画像に移動します。
 
 拡大・・・拡大画像を表示します。
               
史跡 北山城跡マップ
電子国土ポータルへのリンクです