しなの鉄道しなの鉄道線 大屋駅
大屋(おおや)
田中大屋信濃国分寺
所在地 長野県上田市大屋454
所属事業者 しなの鉄道
所属路線 しなの鉄道線
キロ程 34.7km(軽井沢駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員  1,041人/日(2017年)  
開業年月日 1896年(明治29年)1月20日
備考 終日駅員配置
大屋駅
大屋駅
相対式ホームと跨線橋 大屋駅へ到着する115系
相対式ホームと跨線橋 大屋駅へ到着する115系
ホームはかなり長い 桜の大屋駅
ホームはかなり長い 桜の大屋駅
大屋駅は、長野県上田市大屋にある、しなの鉄道しなの鉄道線の駅です。
明治初期には諏訪地域の蚕糸業者は、甲州街道を使用して甲武鉄道の八王子駅まで生糸を陸送していましたが、1888年(明治21年)に信越本線が開通すると、和田峠を越えて信越本線の田中駅まで陸送するようになりました。
しかし諏訪地域から田中駅までは遠く不便であったため、諏訪地方の養蚕業者や地域住民が陳情を行った結果、国内初の請願駅として1896年(明治29年)に田中駅 - 上田駅の間に大家駅が開業しました。
これによって生糸の輸出港である横浜までの輸送時間が大幅に短縮され、輸出相場に対応した出荷が可能となった。
日本初の請願駅として駅前に石の碑文が設置されています。
こうした生糸輸送をめぐる当駅の持つ歴史的意義について、日本の産業近代化に貢献した産業遺産としての価値を持っていると評価されたことから、2007年(平成19年)には上田市の製糸関連遺産として信州大学繊維学部講堂などと共に、経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。
当駅は相対式(下り線)および島式(上り線)の2面2線構造をもつ地上駅です。
かつては貨物列車用の中線(JR時代に撤去)および、上り待避線(しなの鉄道移管後に撤去)を有していました。
またJR時代には特急「あさま」の一部も停車していました。
駅業務はアットライフ株式会社に委託されています。駅待合室では駅業務受託業者が運営する売店「アットライフ」が、平日と土曜のみ営業していましたが、2016年1月現在は売店は営業していません。
駅舎の切り妻部分に、大屋の頭文字Oをかたどったと思われる飾りが付けられています。

1896年(明治29年)1月20日、官設鉄道信越線の駅として日本では初めての請願駅として開業しています。
1918年(大正7年)11月21日、丸子鉄道(後の上田丸子電鉄)が開業し、乗り入れています。
1925年(大正14年)8月1日、丸子鉄道が上田東駅まで延伸しました。スイッチバック方式の交換駅となっています。
1956年(昭和31年)4月、上田丸子電鉄丸子線大屋駅駅舎が完成しています。これにより改札口が分離されています。
1969年(昭和44年)4月19日、上田丸子電鉄丸子線が廃止となり、丸子線大屋駅舎は解体され駐車場となっています。
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道に継承されています。
1997年(平成9年)10月1日、北陸新幹線開業に伴う経営分離により、しなの鉄道に移管されています。
2003年(平成15年)7月7日、駅待合室内に売店「アットライフ」が開業しています。
2007年(平成19年)11月30日、経済産業省より近代化産業遺産群33に認定されることが公表されました。

この大屋駅には、1969年までは、上田丸子電鉄丸子線が乗り入れていました。
上田丸子電鉄の大屋駅は、上田丸子電鉄丸子線が丸子鉄道線の第一期線として開業した際、起点駅として設置されています。
通称、電鉄大屋駅は開業時から貨物輸送の関係からスイッチバック機能を持っていて国鉄信越本線を介しての貨車受渡しを行っていましたが、第二期線として上田東駅まで延伸すると、珍しいスイッチバック方式の列車交換駅となり線路が複雑となっています。そこで1959年(昭和34年)には当時としては全国でも珍しい電気式系伝装置を装着し、交換を容易にする改良を行っています。
ホームは現在の駅舎の待合室の隣にあり、改札は丸子鉄道〜上田丸子電鉄初期は共通であったが、1956年(昭和31年)に独自の駅舎が完成すると分離されて、廃止まで続いています。
当駅跡地は、現在、しなの鉄道直営の駐車場となっています。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 しなの鉄道線 下り 長野方面
2 上り 小諸・軽井沢方面