石川県史跡 末森城跡
末森城の概要
末森山古戦場の石碑
末森山古戦場の石碑
末森城跡は現在の石川県羽咋郡宝達志水町竹生野にある末森山(標高138.8m)に位置する山城です。
石川県史跡となっています。曲輪は山中に点在していて、その合計面積は3万m2にも及ぶかなり大規模な山城です。
この末森城は加賀国と能登国を繋ぐ交通の要所であり、越中国とも近く、加越能3国の要衝に位置する重要な拠点で、過去にも幾多の戦いが起こっています。
畠山氏家臣で越中国の地頭職であった土肥親真によって築城されたとされています。しかしいつ築城されたかなど、詳しくは不明です。土肥親真は、天正5年(1577年)に越後国より侵攻してきた上杉謙信に降伏して、斎藤朝信らが末森に入ったとの記述があります。その後、土肥親真は七尾城攻めにも参加していてその功によりそのまま末森城城主となっています。
その後、天正8年(1580年)に加賀一向一揆を鎮圧した織田氏家臣の柴田勝家らが能登国に侵攻してくると、土肥親真は織田軍に降伏しています。土肥氏は能登国に改めて配された前田利家の与力的な立場となったため、末森城はこれ以後前田氏が支配しています。この際、土肥親真は前田利家の妻芳春院の姪(末守殿)を娶っています。
土肥親真は、天正11年(1583年)には、賤ヶ岳の戦いで先鋒として出陣していますが、この戦いで戦死しています。
天正12年(1584年)8月28日、徳川方に属した佐々成政が、1万5千もの大軍を起こして、羽柴方に属す前田利家の朝日山砦を攻撃しました。この戦いは小牧長久手の戦いで秀吉と争うことになった徳川家康に同調した佐々成政が、秀吉方の前田氏を攻撃したもので、朝日山砦攻めは豪雨で中止されています。
末森城本丸跡
末森城本丸跡
佐々成政は同年9月8日夜に木舟城を出撃し、翌日には末森城から約6kmの位置にある東間の天神林に着陣しています。
9月10日には佐々軍が末森城への攻撃を開始しています。佐々軍により曲輪が次々に落ちて、本丸、二の丸が残るのみとなり落城寸前になっています。しかし末森城主奥村永福が城を死守しています。その日の内に前田軍が金沢を出撃して津幡城に入り、翌日には前田軍本隊が末森城に到着したため佐々軍は退却しています。このときに佐々軍は神保軍を後詰めに置いて、前田利家の援軍の接近を監視していたのに簡単に前田軍の接近を許すとは・・・、神保氏張はやる気があったのかはなはだ疑問です。
一方、前田軍は地元の利を生かし、周辺領民から佐々軍の布陣状況を聞き出して、夜の闇に乗じて守りの薄い海沿いに回り込んで、、夜明けとともに一気に奇襲をかけ佐々軍は不意を突かれて撤退しています。被害は、双方とも750人程度と言われていて、佐々軍も打撃を受けていますが、元々少数の前田軍としても大損害といえます。
前田利家も2,500人と少数の兵しか集められず、自重するという考えもあったようですが、利家は敢然と出撃して佐々軍を撃退していて、一生の自慢としていたようです。
この戦いで佐々軍が壊滅的な打撃を受けたとありますが、その翌日には佐々軍は津幡の鳥越城を落としているので、たぶん嘘です。
これは、鳥越城を守備していた城将の目賀田、丹羽の両名が「利家が末森の戦いに敗れた」との誤報により城を放棄していたためですが、いずれにしろむしろ佐々軍はうまく退却したのだと考える方が理にかなっています。
しかしこの勝利により前田利家の能登・加賀統治の基礎が築かれたと言えます。
末森城は元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となっています。
若宮丸への入り口
若宮丸への入り口

現在の末森城の遺構としては、郭、土塁、堀切が残っています。本丸主門は、金沢城鶴の丸南門として移築されましたが、宝暦9年(1759年)に火災によって焼失してしまい、現存していません。また、本丸等の構造物が解体時に城下の寺院などへ転用されたという記録もありますが、詳細は不明です。
末森城に天守があったのかどうかですが、本丸にかなり大規模な建造物があったらしいということは1986年に行われた礎石確認のための調査で、本丸主門の基礎石を始めとして、数十ヶ所の礎石と思われる反応があったことから推測できます。
ただし、天守はなかったと考えられています。
末森城には石垣の類も発見されていないので、いわゆる土塁と空堀で構成された中世山城ということになります。
実際に末森城を訪れてみますと、登城路がかなり急勾配なのです。これだと攻城側はけっこう苦労するのではないかと思います。健脚の方でないときついと思われますが、私はどんどん登っていきます。実は若宮丸への入口に気づかずに通り過ぎてしまったのですが、どうしてかは帰路の時に説明します。
まず最初に三の丸を発見しました。ここはさほど広い平坦面はないのですが、近くには空堀跡もありました。さらに登っていくと、ようやく二の丸に到着します。ここは三の丸よりもかなり広い平坦面がありました。当時ではここにもそれなりの建造物があったのでしょうが現在は曲輪跡が残るのみです。さらに少し登ったところに本丸がありまし
末森城二の丸跡
末森城二の丸跡
た。本丸は最も標高が高い部分にあり、ここには大規模な建造物があったことが推定されます。
本丸には説明板が設置されていますが、建物の類はありません。と言うかこの城には何ら建物の類は現存していないのです。本丸のさらに奥には搦手があります。
さて引き返す途中で、来るときには気づかなかった若宮丸を発見しました。
ここは隠し曲輪の類のようで城に侵入した兵を側面から攻撃するための曲輪ではないかと思われます。
若宮丸も結構広い平坦面を持ち、その奥にもいくつもの曲輪がありました。
末森城は、なかなか勾配がきつい山城であると言えますが、あまり大規模な空堀はなかったように思います。ですから大軍に本気で攻められたら、落城してしまうと思われ、難攻不落というほどではないと感じました。
実際に末森城合戦でも佐々軍の攻撃の前に本丸と二の丸以外はあっさりと落とされています。
例えば平城の魚津城が80日間も持ちこたえたのと比べると割とあっけない印象を受けます。
同じ能登国にある七尾城は、これほど険しい印象を受けなかったのに、はるかに難攻不落との印象を受けるのはやはり石垣の有無でしょうか。まあ、城の規模の違いという見方もあるでしょうが。
とは言え、これだけ険しい末森城をたった一日で落城寸前にまで追い込んだ佐々成政はなかなかの戦上手であると言えましょう。

末森城跡への入口付近 末森城空堀跡
末森城跡への入口付近 末森城空堀跡
末森城本丸への案内 末森城二の丸跡
末森城本丸への案内 末森城二の丸跡
末森城本丸跡 末森城跡説明板
末森城本丸跡 末森城跡説明板
末森城二の丸跡 末森城若宮丸跡
末森城二の丸跡 末森城若宮丸跡
末森城本丸からの眺望 末森城説明板
末森城本丸からの眺望 末森城説明板
末森城への入口にこんな看板が 末森城本丸への道標
末森城への入口にこんな看板が 末森城本丸への道標
城跡への跨線橋の下を国道159号線が通る 国道159号線には城址の看板が
城跡への跨線橋の下を国道159号線が通る 国道159号線には城址の看板が
末森城跡の看板が目立ちます 史跡「末森山古戦場」を示す記念碑
末森城跡の看板が目立ちます 史跡「末森山古戦場」を示す記念碑
ここからの登りはかなりの急勾配です 登山道はかなり急です
ここからの登りはかなりの急勾配です 登山道はかなり急です
左側には土塁があります このあたりには武家屋敷があったようです
左側には土塁があります このあたりには武家屋敷があったようです
竪堀がありました 上りが延々と続きます
竪堀がありました 上りが延々と続きます
通路の端には土塁があります 大きな土塁がありますが、当時の遺構でしょうか
通路の端には土塁があります 大きな土塁がありますが、当時の遺構でしょうか
大きな谷ですが竪堀でしょうか・・・ 本丸が近いようです
大きな谷ですが竪堀でしょうか・・・ 本丸が近いようです
急な上り道が続きます 本丸まであと5分です
急な上り道が続きます 本丸まであと5分です
若宮丸への入口 若宮丸はかなり広い曲輪です
若宮丸への入口 若宮丸はかなり広い曲輪です
若宮丸から下を見下ろす 三の丸付近
若宮丸から下を見下ろす 三の丸付近
櫓跡 この向こうには空堀があります
櫓跡 この向こうには空堀があります
右は櫓跡 二の丸の手前には空堀
右は櫓跡 二の丸の手前には空堀
二の丸 二の丸の手前の空堀
二の丸 二の丸の手前の空堀
二の丸を示す立て札 二の丸はかなり広い曲輪です
二の丸を示す立て札 二の丸はかなり広い曲輪です
二の丸から本丸への通路 本丸を示す立て札ですが・・・かすれていますね
二の丸から本丸への通路 本丸を示す立て札ですが・・・かすれていますね
本丸はもっとも広い曲輪です ここには大規模な建造物があったらしいです
本丸はもっとも広い曲輪です ここには大規模な建造物があったらしいです
本丸にある説明板 末森城の縄張り図です
本丸にある説明板 末森城の縄張り図です
搦手大門はこの奥です 本丸全景
搦手大門はこの奥です 本丸全景
前田家18代当主前田利祐氏の植樹 二の丸の立て札には「末森城跡」とあります
前田家18代当主前田利祐氏の植樹 二の丸の立て札には「末森城跡」とあります
末森城跡
住所 石川県羽咋郡宝達志水町竹生野 形式 連郭式山城 (標高139m/比高118m)
遺構 曲輪、土塁、堀切 築城者 土肥親真
施設 石碑 案内板 城主 土肥親真 前田氏 奥村永福
駐車場 無料 築城年 不明
文化財 県指定史跡 廃城年 元和元年(1615年)
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史跡 末森城跡マップ
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