史跡 井田館跡
井田館の概要
現在の井田館跡(白山社)の正門です
現在の井田館跡(白山社)の正門です
井田館は、富山県富山市八尾町井田にある平城です。
この井田館は、戦国期天文年間にこの一帯を本拠地としていた斉藤氏によって築かれています。
斉藤氏は、井田主馬ケ城を詰め城として普段はこの井田館に居住していました。斉藤氏は、城生城も持っていていざというときにはここに立て籠もっていました。
城の敷地は縦65間(118m)、横97間(176m)と言われていて、居館としてはけっこうな広さとなります。
天文21年(1552年)には、井田館城主の斎藤利忠が願海寺城主の寺崎盛永と戦っています。これを天神林の戦いと呼んでいます。しかしこの戦いは、寺崎氏が利忠の弟利常、利憲を討ち取って勝利しています。斉藤利忠は城生城へ逃れて斎藤信利とともに立て籠もり、寺崎氏は城生城を攻めたが、うまくいかず撤退しています。斉藤軍が寺崎軍に破れたのは、上杉軍が寺崎氏の後押しをしたからでしょう。
斉藤氏は、越中守護代神保氏や猿倉城主塩屋氏にも攻撃を受けることがあり、苦しい戦いを続けていたようです。
斉藤氏は、天正年間には上杉謙信の配下となっていましたが、上杉謙信が天正6年(1578年)に死去すると、斎藤信利は弟の信吉と共に織田信長へ誼を通じ、信吉が上杉方の越中国今泉城を落城させるなど織田方の越中進出に積極的に協力しています。しかし織田信長が本能寺の変で討たれると、斉藤氏は再び上杉景勝に通じて、織田方へ反旗を翻しています。
佐々成政は斉藤氏を攻撃し、1年余りに及ぶ籠城戦の末、城生城は落城してしまいます。この時に井田館も攻略されてしまっていると思われます。廃城時期はよくわかりません。
現在の井田館跡は、白山社、妙法寺、立泉寺の境内が郭跡になっています。
さらに空堀、石垣、土塁といった遺構も残っています。
この井田館は、全く戦向きではないので、戦になったときは城生城か井田主馬ケ城へ立て籠もるしかなかったと思われます。

井田館(白山社本殿)を囲む石垣 郭を囲む石垣が遺構として残っています
井田館(白山社本殿)を囲む石垣 郭を囲む土塁が遺構として残っています
井田館妙法寺本門 妙法寺本殿
井田館妙法寺本門 妙法寺本殿
立泉寺本殿 井田館白山社本殿
立泉寺本殿 井田館白山社本殿
井田館跡
住所 富山県富山市八尾町井田 形式 平城
遺構 郭 石垣 土塁 空堀 石碑 築城者 斉藤氏
施設 白山社 妙法寺 立泉寺 説明板  城主 石黒氏
駐車場 特にない 築城年 天文年間
文化財 なし 廃城年 不明
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