JR北海道・函館市電・函館駅
函館(はこだて)
函館本線   函館  五稜郭
所在地 北海道函館市若松町12番13号
駅番号  H75 
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 函館本線
道南いさりび鉄道線直通含む)
キロ程 0.0km(函館起点)
駅構造 地上駅
ホーム 4面8線
乗車人員  1,562人/日(2020年) 
開業年月日 1902年(明治35年)12月10日
駅種別 直営駅(管理駅) みどりの窓口 
話せる券売機設置駅
函館駅
函館駅
函館駅(はこだてえき)は、北海道函館市若松町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。
番号はH75。事務管理コードは▲140101。
本項では、函館市企業局交通部(函館市電)の函館駅前停留場(はこだてえきまえていりゅうじょう)についても記載する。

JR北海道 函館駅

乗り入れ路線

函館本線の単独駅かつ起点駅であるが、1駅隣の五稜郭駅から分岐する道南いさりび鉄道線の列車が全て当駅発着で運転されており、事実上2路線の列車が利用できる。

利用可能な優等列車

  • 特急「北斗」(函館駅 - 札幌駅)
  • 快速「はこだてライナー」(函館駅 - 新函館北斗駅)
新函館北斗駅で北海道新幹線(新青森・東京方面)に接続する。

歴史

  • 1902年(明治35年)12月10日:北海道鉄道の函館駅(初代)が開業。
  • 1904年(明治37年)
    • 7月1日:函館駅(2代目)が開業(一般駅)。なお、初代の函館駅は亀田駅と改称。
    • 11月:構内岸壁に艀用桟橋と荷揚場設置。桟橋待合所設置。
  • 1907年(明治40年)
    • 7月1日:鉄道国有法(国有化)により、帝国鉄道庁(国有鉄道)の駅となる。
    • 10月1日:日本郵船の青函航路と連絡するため、当駅附属の船車連絡待合室を設置。
  • 1908年(明治41年)
    • 3月7日:帝国鉄道庁直営の青函連絡航路(青函連絡船)が開設され、比羅夫丸が就航。
    • 12月15日:東浜町に出札所を開設。
  • 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、函館本線の駅となる。
  • 1910年(明治43年)
    • 3月10日:日本郵船の青函航路廃止。
    • 3月14日:連絡船貨物取扱のため船場町に貨物取扱所設置。
    • 12月15日:連絡船横付け用の函館桟橋(長さ347m、幅10m、木造)を若松町地先に設置し供用開始。
  • 1911年(明治44年)
    • 4月1日:函館工場設置。
    • 8月29日:亀田駅廃止。
  • 1912年(大正元年):北海瓦斯会社(現・北海道ガス)函館工場開設に伴い専用線敷設。
  • 1913年(大正2年)5月4日:函館大火により駅舎が類焼。
  • 1914年(大正3年)12月10日:駅舎改築。
  • 1915年(大正4年)
    • 6月:第1船入澗設置。
    • 6月16日:青函連絡船との接続を図るため、函館駅からやや離れていた函館桟橋上の連絡船の接岸場所付近に待合所(6月1日新設、それまでの船車連絡待合所は廃止)と函館桟橋仮乗降場(はこだてさんばしかりじょうこうじょう)を設置。連絡船との接続列車のみ入線し、運賃計算上は函館駅と同一とされた。
  • 1917年(大正6年)6月30日:船場町の貨物取扱所廃止。
  • 1921年(大正10年)
    • 7月7日:第2,第3船入澗設置。
    • 8月20日:東浜町出札所を廃止。
  • 1922年(大正11年)6月15日:函館工場を五稜郭へ移転し、五稜郭工場と改称。
  • 1924年(大正13年)
    • 月日不明 :線路移設により、北海瓦斯会社函館工場への専用線を五稜郭駅へ移管。
    • 9月1日:五稜郭 - 当駅間の線路を海岸寄りに移設。
    • 10月1日:青函連絡船用の木造桟橋を廃止。
    • 10月2日:若松埠頭の青函連絡船係留用岸壁の一部供用開始。
    • 10月4日:函館桟橋連絡待合所をコンクリート3階建てに改築し、函館桟橋駅として使用開始。函館駅 - 函館桟橋駅間(0.29km)延長、および函館桟橋駅が起点駅となる。
  • 1925年(大正14年)
    • 7月:青函連絡船の可動橋を備えた若松埠頭係留用岸壁(第1、第2岸壁)が完成。
    • 8月1日:青函連絡船の直接貨車航送が開始。
  • 1927年(昭和2年):海岸町B区岸壁(若松町舟入澗)に函館駅所轄臨港鉄道・市営第一専用側線 (844m) を敷設。
  • 1930年(昭和5年)10月1日:函館桟橋駅の発着時刻が時刻表の表記を函館駅発着に統一。
  • 1938年(昭和13年)
    • 月日不詳:海岸町A区岸壁(万代町舟入澗)に函館駅所轄臨港鉄道・市営第二専用線 (2,643m) を敷設。
    • 1月18日:3代目駅舎が失火により全焼し、駅舎新築までは函館桟橋駅にて営業。
    • 6月5日:仮駅舎設置。
  • 1941年(昭和16年)7月:4代目駅舎着工、当初3階建てを予定も太平洋戦争の激化に伴い2階建てに縮小。
  • 1942年(昭和17年)
    • 12月20日:4代目駅舎が落成。
    • 12月27日:函館本線当駅 - 五稜郭駅間が複線化。
  • 1944年(昭和19年)2月1日:函館桟橋駅の出札および発送手小荷物を函館駅に統合する。
  • 1945年(昭和20年)
    • 7月14日:米海軍機動部隊の攻撃を受け、3番線起点や桟橋待合室などに被災、防空壕内の鉄道郵便局員ら25名が死亡。
    • 12月:GHQの専用列車のため0番線設置。
  • 1946年(昭和21年)10月14日:函館桟橋駅戦災復旧工事を開始。
  • 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に事業を継承。
  • 1953年(昭和28年)
    • 4月5日:函館桟橋駅の出札再開に伴い、本州方面の乗車券発券を函館駅から同所へ変更。
    • 4月15日:駅舎正面に直径2.2mの大時計を設置、港の海をイメージした青い配色で当初は根上義雄作曲による時報オルゴールも併設されていた。
  • 1954年(昭和29年)9月26日:洞爺丸事故が発生。
  • 1955年(昭和30年):函館埠頭(後の中央埠頭)埋立工事に伴い、函館駅所轄臨港鉄道・埠頭専用線 (1,088m) を敷設。
  • 1960年(昭和35年)12月:客留線増設工事を着工。第3船入澗埋立および客車留置線群を延長。
  • 1961年(昭和36年):駅旅行サービスセンター設置。
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月:客留線増設工事が竣工。
    • 7月:駅改良工事を着工。構内本線複線化、第2船入澗埋立および航送留置線の増設、気動車検修設備をそれぞれ増設。
  • 1965年(昭和40年)10月:車両基地増設工事を着工。機関車庫を五稜郭へ移設し、跡地に客車用交検庫・修繕庫および総合事務所を設置するとともに、客車留置線群を増設。
  • 1966年(昭和41年)3月:駅改良工事が竣工。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月16日:十勝沖地震により桟橋待合所、第2岸壁が大きく損傷。
    • 12月1日:待合所を改築するとともに出札を函館駅に統合し、函館桟橋駅を廃止。
  • 1971年(昭和46年)3月:車両基地増設工事が竣工。
  • 1977年(昭和52年)3月?:函館運転所設備増強工事を着工。第1船入澗埋立および仕訳線を増設、洗浄仕業庫を設置。
  • 1978年(昭和53年)5月31日:赤帽業務廃止。
  • 1979年(昭和54年)3月?:函館運転所設備増強工事が竣工。
  • 1980年(昭和55年)10月1日:コンテナ貨物・車扱貨物の取扱いを廃止。
    • 大沼街道沿いに2面2線のコンテナホームや有蓋車用車扱ホームが存在していた。
  • 1985年(昭和60年)6月27日:津軽海峡線電化工事着工。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:荷物・専用線発着の車扱貨物の取扱いを廃止(旅客駅となる)。
    • 中央埠頭へ続く函館市営公共臨港線や、日清製粉函館工場へ続く専用線が存在していた。
  • 1987年(昭和62年)
    • 1月31日:桟橋乗船口改札廃止。
    • 2月1日:新跨線橋使用開始。
    • 3月31日:貨物の取り扱いを書類上再開(貨物列車設定なし)。
    • 4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月13日:青函トンネル開通に伴い、青函連絡船廃止。函館本線の当駅 - 五稜郭駅間が電化(交流20,000V・50Hz)。これに伴い、開業以来初めて北海道と本州とを結ぶ列車が青函連絡船に代わり当駅にも発着するようになった。
    • 6月3日:青函連絡船の暫定運航開始。
    • 9月19日:青函連絡船の暫定運航終了。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月10日:増発や「海峡」「北斗星」の長編成化に対応すべく機回し線副本1番線を本線に格上げ、新5番線ホームの使用を開始。
    • 11月:ホームでの発車ベルを廃止。
    • 12月1日:特急・快速列車発車時の発車メロディとしてJR社員作曲のメロディを使用開始。当時の駅長が「旅立ちの鐘」と命名、北海道で唯一の発車メロディー。
  • 1992年(平成4年)3月14日:7,8番線使用開始。
  • 1999年(平成11年)12月11日:自動改札機使用開始。
  • 2000年(平成12年)5月:5代目駅舎着工。
  • 2001年(平成13年)
    • 8月26日:新4番ホーム使用開始。
    • 9月27日:0番線廃止。
  • 2002年(平成14年)
    • 1月31日:1,2番線廃止。
    • 3月9日:0番線 - 2番線および1番、2番ホーム撤去。
    • 4月1日:JR貨物の駅が廃止され、貨物の取り扱いを終了(実際の取扱実績はない)。
  • 2003年(平成15年)6月21日:5代目駅舎の使用開始 。また、青森駅、八戸駅との3駅間で姉妹駅(カップルステーション)を締結。
  • 2004年(平成16年)10月9日:駅舎外壁に大時計を設置。
  • 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリングを実施。
  • 2011年(平成23年)3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波により駅構内が冠水。
  • 2015年(平成27年)11月7日:指定席券売機導入。
  • 2016年(平成28年)
    • 3月15日:商業ゾーンがリニューアルオープン。
    • 3月26日:北海道新幹線開業に伴い、はこだてライナー運行開始。これに伴い新函館北斗駅方面への電車運行が開始された。また五稜郭駅を経由して当駅に乗り入れていた江差線が道南いさりび鉄道による道南いさりび鉄道線となり、これに伴い、当駅から本州方面へ直通する定期旅客列車は無くなり、再び道内完結列車のみの発着となった。
  • 2020年(令和2年)5月18日:隣接するホテル「JRイン函館」が開業。
  • 2021年(令和3年)
    • 2月28日:ツインクルプラザ函館支店が閉店。
    • 年度内:話せる券売機を導入。
  • 2024年(令和6年)3月16日:ICカード「Kitaca」の利用が可能となる。

駅名標 改札口
駅名標 改札口
キハ283系「スーパー北斗」 駅前
キハ283系「スーパー北斗」 駅前
733系1000番台電車「はこだてライナー」 キハ150形気動車
733系1000番台電車「はこだてライナー」 キハ150形気動車

駅構造

頭端式ホーム4面8線を有する地上駅。2003年(平成15年)に供用開始された5代目駅舎はデンマーク国鉄との共同作業により船舶をモチーフとしてデザインされ、4代目駅舎の西隣(駅正面から見て奥側)の旧0・1・2番線の跡地に建てられている。またホームと駅舎は、段差のないバリアフリー構造になっている。
駅舎1階にはみどりの窓口、JR線自動券売機、指定席券売機、話せる券売機、いさりび鉄道線連絡乗車券用自動券売機、自動改札機、北海道キヨスク「北海道四季彩館」、セブン-イレブン、函館市観光案内所がある。
駅舎2階には飲食ゾーン、クロネコヤマト宅配受付コーナー、図書館「いるか文庫」がある。

のりば

のりばを以下に示す。一時は6面11線となっていたが、新駅舎建設のため旧0・1・2番線を撤去し、旧3・4番線…を新1・2番線…とした。車止めがあり、0キロポストも見ることができる。
のりば 路線 行先 備考
1・4 函館本線 七飯・大沼公園・森・長万部方面 普通列車
道南いさりび鉄道線 上磯・木古内方面 一部列車は5番線
5・6 函館本線 五稜郭・七飯・新函館北斗方面 はこだてライナー
7・8 長万部・東室蘭・苫小牧・札幌方面 特急「北斗」主に7・8番線
臨時特急列車は4番線または8番線
  • 1・2番線はホーム延長が短く、架線が張られていない(かつて旧3・4番線の頃は電化されていたが、新駅舎建設のため撤去された)。そのため函館本線・道南いさりび鉄道線の気動車普通列車のみ入線可能である。
  • 番線と表記しているが、実際には1番のりばなどと案内される。「番線」ではなく「のりば」というのはJR北海道では当駅のみである。
  • 8番線は機回しができる構造となっている。
  • 青函連絡船が運航されていた頃は、ホームからさらに南西方向の岸壁まで貨客車の積み降ろし用の線路と乗り換え用の通路が延びていたが、連絡船の廃止後に全て撤去されて跡地は駐車場や道路のほか、若松埠頭に新設されたクルーズ客船専用の旅客ターミナル「函館クルーズターミナル」とバス駐車場・タクシー乗り場に転用された。またホームの位置も、全体的に北東方向に移動している。

函館駅前(はこだてえきまえ)
大森線    松風町 函館駅前
本線    市役所前
所在地 北海道函館市若松町16-10先、15-7先
駅番号  DY17
所属事業者 函館市企業局交通部
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員  3,453人/日(2019年) 
開業年月日 1898年(明治31年)1月9日
乗入路線2路線
所属路線1 函館市電本線
キロ程1 0.0 km(函館駅前起点) 
所属路線2  函館市電大森線 
キロ程2 0..5km(松風町起点) 
函館駅前停留場ホーム
 函館駅前停留場ホーム
700形電車と8000形電車 8000形電車
700形電車と8000形電車 8000形電車
9600形電車 相対式ホーム2面2線
9600形電車 相対式ホーム2面2線
9600形電車 相対式ホーム2面2線
9600形電車 夜の駅全景
 

函館市電 函館駅前停留場

函館市企業局交通部(函館市電)の函館駅前停留場は、JR函館駅の南東の道路上に位置する。駅番号はDY17。

乗り入れ路線

本線(十字街停留場方)と大森線(松風町停留場方)が乗り入れているが、両線は一体で運用され直通運転を行っているため、実用上では途中駅となっている。

歴史

  • 1898年(明治31年)1月9日 - 亀函馬車鉄道(後の函館馬車鉄道)の鶴岡町停留場(現在の函館駅前停留場)が開業。
  • 1911年(明治44年)10月1日 - 函館水電に事業継承。
  • 1914年(大正3年)- 函館水電により電化。
  • 1943年(昭和18年)
  • 2月3日 - 道南電気軌道に事業継承。
  • 11月1日 - 函館市役所交通局(後の函館市交通部)に事業継承。
  • 1952年(昭和27年)10月1日 - 函館市交通局(公営企業)に事業継承。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 「函館市交通事業健全化計画」に基づき、本線の一部(当停留場 - ガス会社前間)廃止。
  • 2004年(平成16年)-「函館駅前土地区画整理事業」に伴い停留場を移設。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 函館市交通局と水道局(現函館市企業局上下水道部)の統合により、函館市企業局交通部に事業継承。
  • 2014年(平成26年)11月26日 - 「函館市中心市街地活性化基本計画」事業により全面改築した停留場の供用開始。なお、同年6月24日から11月25日の工事期間中は、約50メートル市役所前停留場側に仮設停留場が設けられていた。
  • 2015年(平成27年)9月29日 - 新停留場が「グッドデザイン賞」受賞。
  • 2024年(令和6年)8月30日 - 湯の川方面行の乗車位置を7メートル後方に移動。

停留場構造

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。函館駅側のホームが湯の川方面行、その対面側のホームが函館どつく前・谷地頭方面行となっている。松風町側の軌道敷内には、1968年(昭和43年)に函館東・北斗ライオンズクラブより寄贈された国道5号の起点を示す起点標が埋め込まれている。
市役所前側に渡り線(連絡線)が設置されており、湯の川行始発電車のほか増車や貸切電車の運行、および事故や故障発生時に使用する。
2003年(平成15年)7月、函館駅舎新築に伴う区画整理実施に伴い電停の位置が5メートル移動する事になったことから全面改装を実施し、上屋付きのバリアフリー構造となった。
観光客の増加により週末には乗車待ちの列が車道にまで伸びる状況となっていたため、2024年(令和6年)8月30日に湯の川方面行の乗車位置を7メートル後方に移動することとなった。

青函連絡船

函館駅
青函航路    青森 函館
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 青函航路(青函連絡船)
キロ程 113.0 km(青森起点)
開業年月日  1908年(明治41年)3月7日 
廃止年月日 1988年(昭和63年)3月13日
備考 1988年(昭和63年)6月3日から同年9月19日まで暫定(復活)運航 
青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、本州の幹線鉄道の北端の青森駅と北海道の幹線鉄道の南端に位置する函館駅間の連絡航路で、鉄道国有化後の国営の国鉄、戦後の公共事業体の国鉄ならびに民営化後の北海道旅客鉄道(JR北海道)により、運航された鉄道連絡船である。
航路長は61海里、営業キロ上の距離は113.0 km、貨物営業キロ程300 kmであった。
陸岸から最も離れる津軽海峡中央部でも20海里以内のため、就航船の航行資格は沿海区域であった。

歴史

日本鉄道上野 - 青森間の鉄道開業に伴い青森-函館間はすでに運航している船舶が接続を図ることとしていたが、当時運航していた船舶会社が立場の違いから鉄道との一体して運航できるよう配船をしなかったため、鉄道会社側で独自の航送を行う機運が高まったのが開設のきっかけである。
イギリスで建造された当時最新鋭の蒸気タービン船 比羅夫丸型2隻を擁して、国鉄直営航路として1908年(明治41年)に開設されて以来、本州と北海道の鉄道を連絡する基幹ルートとして、客貨双方の輸送を担って来た。1925年(大正14年)には、日本初となる大型車載客船 翔鳳丸型4隻による 鉄道車両航送を開始し、貨物輸送効率の画期的な向上を達成した。
しかし太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)夏の空襲と、1954年(昭和29年)秋の洞爺丸台風では、多くの尊い人命と連絡船を失い、そこからの復興に努めながら、その後の日本の高度経済成長を支える大動脈として、当時の最先端技術を駆使した連絡船を多数就航させた。1972年(昭和47年)には、1日最大30往復もの運航をする最盛期を迎えたが、この頃から開設され始めた長距離フェリー航路の影響、大型ジェット旅客機の国内線への投入等による航空運賃の相対的低下、1973年(昭和48年)秋の第1次オイルショックに続く景気低迷、さらには、度重なる労働争議による「国鉄離れ」もあって、1970年代後半(昭和50年代)以降は、客貨ともその輸送量を急激に減らし、減船、減便を余儀なくされながらも、1988年(昭和63年)3月13日の青函トンネル開業まで、この基幹ルート維持の使命を全うした。

年表

  • 1908年(明治41年)
    • 3月7日 - 帝国鉄道庁(国鉄)が青森 - 函館間定期航路を開設。最新鋭の蒸気タービン船「比羅夫丸」(ひらふまる)就航により、両港間を4時間で結んだ。鉄道直営の津軽海峡連絡船自体は日本鉄道によって計画され、連絡船自体も同社によって発注されていたが、就航は同社の国有化後になった。
    • 4月4日 -「田村丸」就航
    • 12月5日 - 帝国鉄道庁は鉄道院に改組され、青函連絡船は東部鉄道管理局青森運輸事務所所管となる
  • 1910年(明治43年)
    • 3月10日 - 日本郵船青森 - 函館間定期航路を廃止
    • 12月15日 - 函館停車場構内の連絡船係留用木造桟橋、使用開始。これに伴い、函館側におけるハシケによる乗客の乗降を岸壁からの直接乗降に変更。
  • 1913年(大正2年)5月5日 - 東部鉄道管理局青森運輸事務所から北海道鉄道管理局函館運輸事務所に所管替
  • 1914年(大正3年)
    • 12月10日 - 初の鉄道車両ハシケ「車運丸」が就航。限定的に貨車航送を開始
    • 12月25日 - 函館停車場の連絡待合所を桟橋に移転し、旅客・小荷物の取扱を開始
  • 1915年(大正4年)6月16日 - 函館桟橋の連絡船接岸場所付近に「函館桟橋仮乗降場」を設置。連絡船との接続列車のみ入線し、運賃計算上は函館駅と同一とされた
  • 1919年(大正8年)5月1日 - 鉄道院は鉄道省に改組され、北海道鉄道管理局を廃止し、札幌鉄道管理局を設置
  • 1920年(大正9年)5月15日 - 札幌鉄道管理局を廃止し、札幌鉄道局を設置
  • 1924年(大正13年)
    • 5月21日 - 日本初の車載客船「翔鳳丸」が就航したが、車両航送用陸上設備未完のため、通常の客船として運航
    • 10月1日 - 若松埠頭先端側の係船岸壁一部竣工し、使用開始。同時に木造桟橋を廃止
    • 10月2日 -「比羅夫丸」が着岸し、乗客の岸壁からの乗下船を開始
    • 10月4日 - 若松埠頭に鉄筋コンクリート3階建の総合桟橋駅完成、1階には「函館桟橋駅」の1面2線ホーム設置。函館桟橋駅 - 函館駅間が開業し (0.29 km) 、函館桟橋駅が函館本線の起点駅となる
    • 10月11日 -「津軽丸(初代)」が就航
    • 11月11日 -「松前丸(初代)」が就航
    • 11月18日 - 地盤が悪く工事が難航していた青森岸壁の連絡待合所が竣工、使用開始
    • 12月30日 -「飛鸞丸」が就航。
  • 1925年(大正14年)8月1日 - 青森駅 - 函館駅間で本格的車両航送開始車載客船に貨車、荷物車等を直接積載でき、従前のはしけ荷役による貨物輸送に比べ、輸送効率は格段に改善された。
  • 1926年(大正15年)12月12日 - 初の車両渡船「第一青函丸」が就航
  • 1927年(昭和2年)6月8日 -「車運丸」が終航
  • 1929年(昭和4年)7月8日 -「比羅夫丸」・「田村丸」を大阪商船に売却
  • 1930年(昭和5年)
    • 9月1日 -「第二青函丸」が就航
    • 10月1日 - 函館桟橋駅の発着時刻が時刻表の記載から外され、表記は函館駅発着に統一される。
  • 1931年(昭和6年)10月5日 - 青森 - 函館間直通の荷物車を航送開始
  • 1934年(昭和9年)3月21日 - 低気圧による荒天で浸水・座礁など相次ぎ被害多数。「飛鸞丸」は浸水による操舵困難に加え、アンテナ線が切れたため通信不能となって一時遭難が疑われる事態となった。なお、この日は函館大火が発生している。
  • 1939年(昭和14年)11月25日 -「第三青函丸」が就航
  • 1942年(昭和17年)9月11日 - 函館運輸事務所廃止、函館管理部設置
  • 1943年(昭和18年)
    • 3月6日 -「第四青函丸」が就航
    • 11月1日 - 函館船員区を設置
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月3日 - 函館桟橋の有川埠頭(有川桟橋)が竣工し、貨物専用で供用開始
    • 1月14日 - W型戦時標準船の第1船「第五青函丸」が就航。
    • 2月1日 - 函館桟橋駅の出札および発送手小荷物を函館駅に統合
    • 3月19日 -「第六青函丸」が就航
    • 7月20日 -「第七青函丸」が就航
    • 11月22日 -「第八青函丸」が就航
  • 1945年7月14日、青森港沖で爆撃を受ける翔鳳丸。この写真はアメリカ軍撮影で、アメリカの週刊誌「ライフ」1945年8月13日号に掲載された。日本側でこの写真が再発見された1978年頃は翔鳳丸か飛鸞丸か定かでなかった。その後の、本写真を含むアメリカ国立公文書記録管理局所蔵の青函連絡船空襲関連のアメリカ側撮影の大量の写真や文書の精査から、翔鳳丸がジグザグ航法で爆撃をかわしている空襲初期で、操舵室屋上の弾薬箱に機銃弾が命中し爆発したところ、と推定された。
  • 1945年(昭和20年)
  • 2月27日 - 浦賀船渠で竣工し函館へ回航中の「第九青函丸」が千葉県勝浦沖で座礁・沈没。
    • 3月6日 - 青森港内にて、「第五青函丸」が防波堤に接触し沈没。死者・行方不明者82名。
    • 6月1日 -「第十青函丸」が就航。
    • 7月14日 - アメリカ海軍艦載機の空襲により連絡船12隻中11隻が攻撃を受けた
    • 6時18分 - 第四青函丸が葛登支岬南東3.9海里で沈没
    • 7時20分 - 松前丸が七重浜に擱坐炎上
    • 7時30分 - 第十青函丸が函館港防波堤灯台北北西600mで沈没
    • 7時30分頃 - 第三青函丸が矢越岬東南3.8海里で沈没
    • 14時頃 - 第六青函丸が野内海岸に坐洲炎上
    • 14時50分 - 第七青函丸が函館港内で工事中被弾航行不能
    • 15時10分 - 函館港内で休航中の第八青函丸被弾し航行不能
    • 15時10分 - 津軽丸が狐越岬東4海里で沈没
    • 15時30分 - 青森港2号浮標北北東1海里付近で第二青函丸が沈没
    • 15時40分 - 飛鸞丸が青森港2号浮標北北東2海里付近沈没
    • 15時55分 - 翔鳳丸もほぼ同所で沈没
    • この日だけで352名死亡。
    • 7月15日 - 14時40分、唯1隻残っていた「第一青函丸」がアメリカ海軍艦載機の空襲により三厩湾で沈没
    • 8月10日 -「亜庭丸」が夏泊半島西側の茂浦でアメリカ海軍艦載機の空襲により沈没
    • 8月30日 -「第七青函丸」函館港北防波堤に衝突
    • 10月9日 -「第十一青函丸」が就航。
    • 10月 - 伝染病の伝播防止のため乗船客に対しDDT散布を義務付け。1950年(昭和25年)4月まで実施
    • 11月28日 -「第八青函丸」青森第1岸壁係留中ヒーリング操作不調でその場に沈坐
  • 1946年(昭和21年)
    • 4月22日 - 進駐軍専用列車1201・1202列車を上野駅 - 札幌駅間で運転開始。青森駅 - 函館駅間は青函連絡船(当時はW型船、後H型石狩丸も加わる)に客車を積み込んだが、これが初の客車航送となった。この列車は後に「Yankee Limited」(北部特急)と命名されている。
    • 3月18日 - 航路を所管する函館船舶管理部が発足。青森桟橋が札幌鉄道局に移管
    • 3月29日 - LST Q021による函館有川5岸 - 青森3岸間の仮就航
    • 3月31日 - LST Q022も就航し本就航
    • 5月15日-「第十二青函丸」が就航
    • 7月1日 - LST貨車航送 青森側を小湊桟橋に変更したため、函館有川5岸 - 小湊間となった
    • 7月23日 -「石狩丸(初代)」が就航
    • 10月14日 - 函館桟橋駅の戦災復旧工事を開始
  • 1947年(昭和22年)
    • 1月27日 - LST Q022 貝埼沖で座礁大破 以後稼働せず
    • 8月20日 - LST Q022 横浜港で船舶運営会に引き渡す
    • 11月21日 -「洞爺丸」が就航
    • 12月12日 -「石狩丸」難航
    • 吹雪・大シケで出航見合わせ中にRTOの顧問が進駐軍専用船の石狩丸に函館出航を命令。難航の末丸一日がかりで青森に到着する事態に。この事態を受けてRTOの船舶管理部への対応が見直される事になった。
    • この日、「洞爺丸」も難航していた。
  • 1948年(昭和23年)
  • 2月26日 - LST Q021 横浜港でアメリカ軍に引き渡す
  • 2月27日 -「北見丸」が就航
  • 4月7日 -「十勝丸(初代)」が就航
  • 5月1日 -「羊蹄丸(初代)」が就航
  • 7月26日 -「渡島丸(初代)」が就航
  • 8月27日 -「摩周丸(初代)」が就航
  • 10月10日 - 小湊桟橋第六青函丸着岸試験
  • 10月21日 -「日高丸(初代)」が就航
  • 11月27日 -「大雪丸(初代)」が就航
  • 12月16日 - 日本人も乗車できるマイネ40形1等寝台車航送を洞爺丸型で開始
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月26日 - 連絡船内にて、売店の営業を開始
    • 6月1日 - 日本国有鉄道法施行に伴い、公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管
    • 7月15日 - 小湊桟橋業務停止
    • 9月15日 - 郵便車航送、船内仕訳作業開始。
  • 1950年(昭和25年)
    • 2月3日 - 連絡船内にて、食堂の営業を開始
    • 4月22日 - 「第十二青函丸」濃霧のため穴澗岬に擱坐
    • 8月1日 - 管理部廃止、青函鉄道管理局が発足。船舶長・船舶輸送長を置く
    • GHQ側が、青函連絡船の管理運営は鉄道と異なる性質のものであるから独立した管理機構にすべきと強硬に主張し、青函局も設置されることとなった
    • 9月 - 「渡島丸(初代)」に日本の商船初のレーダー装備
  • 1951年(昭和26年)
    • 5月9日 - 朝鮮戦争の影響を受けた津軽海峡への浮流機雷流入に伴い、連絡船の夜間運航中止。約5年間に渡って断続的に旅客便の夜間運航の中止(乗船客は船内待機、夜明けを待って出港)、接続列車の不接続など運航ダイヤの混乱が続いた。連合軍専用列車の寝台車航送も休止。
    • 5月19日 -「洞爺丸」型によるマイネ40形1等寝台車航送休止、以後再開されず。
  • 1952年(昭和27年)
    • 4月1日 - 連合軍専用列車1201・1202列車が特殊列車に改称。日本人の乗車も許可され、同列車のマイネフ38形1等寝台車の航送を再開。
    • 8月5日 - 青函鉄道管理局の船舶長・船舶輸送長を船舶部(総務・海務・船務課)に改組。
  • 1953年(昭和28年)4月5日 - 函館桟橋駅の出札再開に伴い、本州方面の乗車券発券を函館駅から同所に変更。
  • 1954年(昭和29年)
    • 9月26日 - 台風15号(洞爺丸台風)に伴う強風波浪により、連絡船5隻が函館港防波堤外で沈没し、あわせて1,430名の犠牲者を出す洞爺丸事故が発生。この事故を契機に寝台車の航送を中止し、青函トンネル計画が具体化された。
    • 20時頃 - 「第十一青函丸」が錨泊中、函館港西防波堤灯台真方位256度1.62 km付近で沈没。
    • 22時20分頃 -「北見丸」が踟蹰中、葛登支灯台真方位88度2.75 kmで沈没。
    • 22時43分頃 -「洞爺丸」が錨泊中、函館港西防波堤灯台真方位337度2.5 km付近の七重浜沖で座礁転覆沈没。
    • 23時43分頃 -「十勝丸(初代)」が錨泊中、函館港西防波堤灯台真方位253度1.8 km付近で沈没。
    • 23時43分頃 -「日高丸(初代)」が錨泊後踟蹰を試みた直後、函館港西防波堤灯台真方位264度1.53 km付近に沈没。
  • 1955年(昭和30年)
    • 7月5日 - 青函鉄道管理局を青函船舶鉄道管理局に改称。船舶部を廃止し、海務部および船務部を置く
    • 9月16日 -「檜山丸(初代)」が就航。
    • 9月18日 -「空知丸(初代)」が就航。
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月1日 -「日高丸(初代)」を修復し、再就航。
    • 6月1日 - 青函連絡船の1等船室を2等A寝台に格下げし、2等寝台を2等B寝台とした。
    • 8月31日 -「十勝丸(初代)」を修復し、再就航。
  • 1957年(昭和32年)10月1日 -「十和田丸(初代)」が就航。
  • 1960年(昭和35年)7月1日 - 国鉄が従来の2等を1等に、従来の3等を2等とし、3等の呼称を廃止。
  • 1961年(昭和36年)7月 - 車載客船の1等出入口広間に1等指定椅子席を新設。
  • 1964年(昭和39年)
    • 5月8日 -「第六青函丸」が終航(同年6月10日廃止)。
    • 5月10日 -「津軽丸(2代)」が就航
    • 7月12日 - 函館桟橋で「津軽丸」(2代)から乗客が転落死する事故が発生。これに伴い、「別れのテープ」が禁止される。
    • 8月12日 -「八甲田丸」が就航。
    • 8月31日 -「大雪丸(初代)」が終航(同年10月16日廃止)。
    • 9月17日 - 東京オリンピックの聖火を津軽丸で輸送。陸奥湾平舘海峡入口で北海道、青森県の聖火ランナーが洋上で聖火を引き継ぎ。
    • 9月21日 -「八甲田丸」接続列車遅れ回復のため3時間26分運航。
    • 10月1日 - 寝台特急「はくつる」に接続する3・4便に限り3時間50分運航開始。初めて4時間の壁を破る。
    • 10月26日 -「摩周丸(初代)」が終航(同年12月7日廃止)。
    • 11月30日 -「第八青函丸」が終航(同年12月14日廃止)。
    • 12月1日 -「松前丸(2代)」が就航
    • 12月31日 -「第七青函丸」が終航(翌年1月16日廃止)。
  • 1965年(昭和40年)
    • 5月16日 -「大雪丸(2代)」が就航。
    • 6月20日 -「羊蹄丸(初代)」が終航(同年7月15日下関へ回航、同年8月12日廃止)。
    • 6月30日 -「摩周丸(2代)」が就航。
    • 7月2日 -「第十二青函丸」が終航(同年7月7日廃止)。
    • 8月5日 -「羊蹄丸(2代)」が就航。
    • 8月31日 -「渡島丸(初代)」が終航(同年9月21日廃止)。
    • 9月30日 -「石狩丸(初代)」が終航(同年10月18日廃止)。
    • 10月 - 旅客扱い便10往復のうち9往復を3時間50分運航とした。
  • 1966年(昭和41年)
    • 8月15日 - 東北地方集中豪雨による東北・奥羽両本線不通のため「空知丸(初代)」による函館 - 川崎間貨車航送(川崎では貨車積卸しせず貨物の積卸しのみ)、21日函館帰着。
    • 8月18日 - 上記不通のため「檜山丸(初代)」による青函間トラック航送を23日まで実施。
    • 10月1日 -「十和田丸(初代)」終航。
    • 10月21日 -「十和田丸(初代)」を「石狩丸(2代目)」に改称。
    • 11月1日 -「石狩丸(2代目)」車両渡船化工事着手。
    • 11月1日 -「十和田丸(2代)」が就航。
  • 1967年(昭和42年)
    • 5月6日 - 改造車両渡船「石狩丸(2代)」就航。
    • 6月1日 - 青森発の1便「十和田丸(2代)」から乗用車航送開始当初は「津軽丸」型7隻の遊歩甲板後部に6台積みだったが、最終的には13台積みとされた。ただし、甲板上の露天積みで荒天時には海水をかぶるため、後年国鉄では洗車のサービスを行った。
    • 9月28日 - 室蘭本線不通のため、青森港 - 室蘭港間で「檜山丸(初代)」・「空知丸(初代)」を使用した貨車航送を10月18日まで実施(11日までは室蘭では貨物の積卸しのみ)。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月16日 - 十勝沖地震により客扱い・乗用車航送を一時停止。
    • 12月1日 - 函館桟橋駅が廃止され、出札を函館駅に統合。
  • 1969年(昭和44年)
    • 9月20日 -「日高丸(初代)」が終航(翌年2月18日廃止)。
    • 10月1日 -「渡島丸(2代)」が就航。
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月31日 -「十勝丸(初代)」が終航
    • 4月6日 -「日高丸(2代)」が就航。
    • 6月30日 - 十勝丸(2代)」が就航。
    • 10月26日 - 「十勝丸(2代)」第2主機室で火災発生し約3時間漂流。
  • 1972年 - 秋から1日30往復もの運航が行われることもあったが、その後は旅客需要の航空移転や民間フェリー航路の整備に伴い、客貨ともに輸送量が急激に減少した(最盛期は1973年(昭和48年)の約498万人)。
  • 1975年(昭和50年)8月27日 - 8月31日-函館本線・室蘭本線土砂崩れで不通のため、函館港 - 室蘭港間で連絡船による列車代行を実施。「摩周丸(2代)」・「十和田丸(2代)」が就航し、上下あわせて約15,000人を輸送。
  • 1976年(昭和51年)
    • 2月27日 -「空知丸(初代)」が終航。
    • 4月5日 -「空知丸(2代)」が就航。
    • 7月5日 -「檜山丸(初代)」が終航。
    • 8月5日 -「檜山丸(2代)」が就航。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月7日 - 青函航路開設70年目を記念して、各連絡船の「シンボルマーク」を発表。乗組員100名から寄せられた約240点の案から選定され青いイルカと黄色の救命ブイの組み合わせを基本デザインとし、6月の摩周丸を皮切りに船体に掲示。ただし、貨物船の「渡島丸」型には、制定はされたが掲示されなかった。
    • 3月18日 -「石狩丸(2代目)」が終航。
    • 5月6日 -「石狩丸(3代)」が就航。
  • 1978年(昭和53年)10月1日 -「渡島丸(2代)」が係船。
  • 1980年(昭和55年)
    • 7月21日 -女性乗務員「マリンガール」登場、函館・青森両港で3名ずつをアルバイト採用。以降夏の観光シーズンに観光案内等乗客のサービスにあたる。
    • 10月1日 - 日高丸(2代)」が係船。
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月4日 -「津軽丸(2代)」の終航に伴い、係船中の「日高丸(2代)」が運航再開。
    • 3月31日 -「石狩丸(3代)」を客載車両渡船に改造し、再就航。
    • 10月1日 -「檜山丸(2代)」を客載車両渡船に改造し、再就航。
    • 11月12日 -「松前丸(2代)」が終航。
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月31日 - 「日高丸(2代)」・「十勝丸(2代)」が終航係船。
    • 2月1日 - 有川桟橋廃止。
    • 3月3日 - 3時10分頃、函館発青森行の摩周丸(2代)(この時は貨物便として運航)が、航海中に遊歩甲板前部の高級船員居住区廊下で火災発生、乗組員が消火活動を行い30分後に鎮火したが、一等航海士1名と二等航海士1名の計2名が死亡、乗組員3名が重傷を負った。青函連絡船で、火災を起因とした死者が出たのは初めて。
    • 3月5日 - 3日の火災で、重体となっていた事務長が死亡。この火災による死者は3名となり、負傷者は2名となった。なお、北海道警函館方面本部と函館西警察署は、この火災について、『放火』とほぼ断定した。
    • 3月10日 - 青函船舶鉄道管理局の海務部・船務部が統合され船舶部(総務・海務・船務課)に改組。
    • 3月17日 - 3日未明の火災により、運航から外れていた摩周丸が修復工事を終え、航路に復帰。再開便は青森14時40分発の貨物専用便から。
    • 7月7日 - 「石狩丸(3代」「檜山丸(2代)」)による二輪車・自転車航送を開始。
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月1日 - 函館駅の桟橋乗降口を閉鎖。
    • 3月1日 - 臨時雇用員乗船開始。
    • 4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)函館支店に承継。船籍港を東京から函館に変更
  • 1988年(昭和63年)
    • 1月6日 -「大雪丸(2代)」が終航。函館有川第3岸壁に係船。
    • 3月1日 - 「別れのテープ」の使用禁止を解除。
    • 3月12日 -「空知丸(2代)」が終航。函館有川第4岸壁に係船。
    • 3月13日 - 青函トンネルを含む海峡線(津軽海峡線)の開業に伴い、同日限りで運航を終了。下り最終便は「八甲田丸」7便(青森第2岸壁17時05分発、函館第1岸壁20時55分着)、上り最終便は「羊蹄丸」22便(函館第1岸壁17時00分発、青森第2岸壁21時55分着)であった。3月13日のみ青函トンネルと青函連絡船の両方が営業を行った。「摩周丸(2代)」・「十和田丸(2代)」・「石狩丸(3代)」・「八甲田丸」・「羊蹄丸(2代)」が終航。「摩周丸(2代)」・「八甲田丸」・「羊蹄丸(2代)」はドック岸壁、「十和田丸(2代)」は函館第1岸壁、「石狩丸(3代)」は函館第2岸壁にそれぞれ係船。
    • 6月3日 - 暫定(復活)運航を開始。使用船は「羊蹄丸」(2代)・「十和田丸(2代)」。
    • 9月18日 - 暫定運航を終了。
    • 9月19日 - 暫定運航に使用されていた十和田丸(2代)による函館への最終運航と同時に正式に廃止された。