JR信越本線 新潟駅
新潟(にいがた)
信越本線   越後石山 新潟
白新線        東新潟 
越後線    白山     
上越新幹線   燕三条  
所在地 新潟県新潟市中央区花園一丁目1-1
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(在来線)
ホーム 新幹線 3面4線(高架)
在来線 4面6線(地上1面2線、高架3面4線)
乗車人員 37,472人/日 (2018年)
開業年月日 1904年(明治37年)5月3日
所属路線 上越新幹線  
キロ程 303.6km(大宮起点)
所属路線 信越本線 
キロ程 136.3km(直江津起点) 
所属路線 白新線
キロ程 0.0km(新潟起点) 
所属路線 越後線 
キロ程 83.3km(新潟起点) 
駅種別 直営駅(管理駅) みどりの窓口 自動券売機
新潟駅
新潟駅
E4系
E4系
新幹線ホーム 新幹線券売機
新幹線ホーム 新幹線券売機
在来線ホーム
在来線ホーム
新潟駅は、新潟県新潟市中央区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅です。
本州日本海側最大の都市新潟市の代表駅です。
上越新幹線の終点であり、本州日本海側の鉄道網、また鉄道以外の公共交通機関も含めた新潟都市圏最大のターミナルです。現在、駅舎周辺では在来線の連続立体交差化と、それに伴う周辺整備事業が進められています。
当駅が終着駅の上越新幹線と下記の在来線3路線が乗り入れており、いずれも当駅を起点または終点としています。
■信越本線 - 在来線における当駅の所属線であり、当駅を終点としています。また、新津駅から磐越西線へ直通する列車も乗り入れています。当駅を跨いで越後線へ乗り入れる列車も設定されています。
■白新線 - 当駅を起点としています。終点の新発田駅からさらに羽越本線へ直通する列車もあります。
■越後線 - 当駅を終点としています。当駅を跨いで、白新線・羽越本線へ乗り入れる列車も設定されています。
現在の新潟市域で最初に開業した鉄道駅は、中蒲原郡沼垂町竜が島(現、新潟市中央区沼垂東・竜が島付近)に設けられた沼垂駅で、1897年(明治30年)11月20日に開設されています 当時、信濃川を挟んで左岸の新潟市と、右岸の沼垂町とは鉄道の敷設で壮絶な誘致合戦を繰り広げたが、当時の信濃川の川幅は約1kmと広く、鉄橋の建設に莫大な資金がかかることがネックとなったことから、信濃川右岸の萬代橋東詰付近の沼垂町流作場(りゅうさくば。現在の新潟市中央区万代・弁天・八千代付近)に「新潟駅」を設けるという折衷案で一旦は合意しました。
しかし北越鉄道は地代が高い事を理由にこれを事実上拒否し、竜が島に設けた「沼垂駅」を終着駅としました。
新潟市側ではこれに対する反対運動が起こったものの、政府の認可が下りたことから紛糾を極め、市側の「鉄道同志会」の構成員の一部が行動を過激化して、沼垂駅を評価する人を襲撃する騒ぎを起こし、更には同年11月16日の鉄道開業予定日を控えた11月11日の早朝、沼垂駅構内の機関庫と貨物庫、新栗ノ木川の鉄橋に爆弾を仕掛け、爆破する騒動にまで発展しています。
幸い損害は軽度で済み、開業が4日遅れただけで運行等には大きな支障はなかった。
その後も市民の鉄道誘致運動が続き、それが結実して1904年5月3日、現在の中央区弁天一丁目、弁天公園付近にあたる位置に開業したのが、初代の新潟駅です。
それからの新潟市は、市街地に最も近い新潟駅を中心に発展を遂げていきました。1925年に策定された「新潟市都市計画」では、架け替えを予定していた萬代橋を経由する路面電車(のちの新潟交通電車線にあたる)を駅前に乗り入れるという計画も盛り込まれてました。そして1935年には、木造2階建ての2代目駅舎に建て替えられています。
E653系「いなほ」
E653系「いなほ」
1937年に日中戦争が勃発し、1941年には太平洋戦争が始まると「新潟市都市計画」も中断を余儀なくされ、萬代橋経由の路面電車線の建設計画も凍結されてしまいます。
戦時鉄道輸送の便を図るためもあり、1943年には関屋-新潟間に貨物支線が建設されています。
新潟市は大規模な空襲を受けなかったため、新潟駅が戦災によって大きな被害を受けることはなかったが、この時期には駅舎の補修や軌道の整備等に大きな支障を生じています。
終戦直後からしばらくは大陸からの引揚者や東京・大阪方面などからの買い出し者等で駅の利用者が大幅に増加し、駅構内は常に人で溢れている状況でした。
第二次世界大戦後の混乱が落ち着いた頃、手狭になった新潟駅の移転新築と、新潟市内の鉄道路線網の整理が計画されています。沼垂駅を出発した新津・新発田方面からの列車は、沼垂の市街地を南西に大きく迂回して新潟駅に到着するという、線形の悪さによる時間ロスの大きさが、かねてから問題となっていたためです。また当時、越後線は対岸の白山駅が終端の終着駅であり、越後線の線路そのものは上述の貨物支線によって関屋駅より分岐して新潟駅に繋がっていましたが、この間の旅客営業は行われておらず、この支線を経由した越後線の新潟駅乗り入れが強く望まれていました。
そのため、当時の新潟駅のすぐ南側で信越本線と越後線を結んでいた支線(信越本線上沼垂-関屋間貨物支線)上に新しい駅舎を建設し、信越本線・越後線・白新線の3路線をこの新駅に統合することとなったのです。
駅舎は地上2階・地下1階、広さは旧駅の約6倍、地下商店街も設置されるというもので、当時としては大規模な計画でした。
1951年6月には関屋-新潟間の旅客営業が開始され、同年12月には白山駅が移転、それまでの関屋-白山間は廃線となり、旧白山駅も廃止されています。
在来線改札
在来線改札
新しい新潟駅の駅舎は1956年1月10日に着工しています。建設地は水田などに近い湿地帯だったため、施工は慎重を期して行われ、工事費4億円、2年の工期を経て、1958年4月29日に3代目駅舎が完成しています。なお、初代駅舎時代に計画されていた新潟交通の路面電車路線は、戦後はトロリーバスの計画に転換するなどして駅舎が現在地に移転したこの58年まで工事申請を更新し続けたものの、以降は再申請がなされず、同年10月をもって軌道特許が失効し、結局実現には至ることはなく計画は消滅しています。
新駅舎は当時の日本海側有数の大規模駅舎として開業しましたが、度重なる災害に襲われ、1961年には駅舎内にあった国鉄新潟支社の仮庁舎から出火し、支社部分をほぼ全焼するという火災に見舞われています。これを機に駅舎は1964年に開催される新潟春季国体に合わせ、地上4階建・一部6階建に増築されることとなり、改築工事は1963年に竣工しました。これが現:万代口駅舎の原型です。
1964年、国体が終了して間もない6月16日に新潟地震が発生しています。元々水田だった新潟駅付近では液状化現象が発生し、駅舎・ホームが損壊。更に駅東側の道路に掛かる笹口跨線橋(現:東跨線橋)が倒壊し、橋の下にいたキハユニ17形気動車を押し潰すという被害が出ています。駅構内が使用不能となったため笹口地区に仮設ホームを設置し、19日から営業を再開しています。周辺の白山駅や万代駅などでも、路盤陥没や駅舎の破損、津波による冠水などの被害を受けて、数日間にわたって路線網が寸断されています。
その後、新潟駅を中心とする路線網は徐々に整備されていきます。1982年に上越新幹線が開業し、在来線も新潟駅を起終点とする3路線が1984年までに全て電化され、駅構内の設備・店舗なども徐々に充実して、新潟駅は新潟市の玄関口としての体裁を整えながら現在に至ります。

「北越」
「北越」
かつて南口側には駅舎は無く、駅裏側には国鉄新潟鉄道管理局時代からの車両基地である「新潟運転所」がありました。その後上越新幹線の建設開始と併せて南口駅舎の新設が決定したのに伴い、1974年に電車・客車の車両基地機能は上沼垂運転区(現、新潟車両センター)へ移転しましたが、気動車の基地は移転の目途が立たず、新幹線開通に間に合わない状況となっていました。やむを得ず運転所を挟んだ位置に駅前広場を設け、2本の連絡通路を順次開設して駅舎へのアクセスを確保したものの、南口駅舎と駅前広場の間にはこの基地が長らく残ったため、利用者からは不便を訴える声が絶えなかったのです。
1991年に新津運転所(現、新津運輸区)が開設され、ようやくすべての車両基地が撤去されたものの、跡地はその後日本国有鉄道清算事業団に所有権が移り、一時遊休地となった後、駐車場として長らく暫定的に供用され、駅前広場も従来の位置のままでした。
南口側には駅舎へ徒歩で直接アクセスできる出入口がなかったことから、利用者からは改善を求める意見がたびたび寄せられていました。JR東日本新潟支社などはこれに呼応して2000年6月30日、南口駅舎から南口駅前広場に直通する「南中央口」の暫定供用を開始しました。南口駅舎の中央部に設けられた中央口は、東口改札から階段・エスカレーターで1階に繋がっており、管理用道路を横断した先から、南口側の駐車場を挟んで駅前広場へと通じていました。
南中央口は後述のペデストリアンデッキ竣工に伴い2009年2月19日をもって供用停止となり、その後南口駅舎の改修が完工した9月19日から、階段とエスカレーターの供用を再開しています。

開発が進む一方で新潟駅は、施設上の諸問題を長らく抱え続けていました。元々の出入口で市内中心部側に位置する万代口駅舎は既に築50年を越え、老朽化が著しくなっていました。さらに、バリアフリー対策の立ち遅れも目立ち、各ホームへのエスカレーター及びエレベーターの設置が一応の完了を見たのは2010年代になってのことでした。特に、特急「いなほ」が発着する6・7番線は駅再整備計画によって廃止される予定とされたため、最後までエレベーターが設置されていなかったのです。但しエスカレータが設置されていて、車椅子の利用者には駅社員が昇降を介助していました。
駅前広場は万代口側・南口側とも使い勝手が非常に悪く、万代口側は敷地が狭隘であるため歩行者の導線が煩雑化している上に車両が乗り入れにくく、バスの発着地も一箇所にまとまっておらず、利用者にとって大変不便な状態です。一方の南口側は新潟運転所の施設が長らく残ったため駅舎から遠く、運転所移転後の跡地が日本国有鉄道清算事業団(当時)に所有権が移り南口の再整備が開始された後も計画が流動的になる等、駅周辺の環境に関しては問題が山積していました。

E653系「いなほ」
E653系「いなほ」
上記の駅舎そのものの問題の他に、駅周辺は鉄道路線を境に南北の市街地が分断されており、踏切や跨線橋など鉄道を横断する道路施設も著しく不足しています。そうしたこともあって万代口側に対し南口側は開発が遅れ、市街地開発が不均衡なまま現在に至っています。こうした諸々の問題も含め、新潟県内では新潟市の玄関口というに相応しい駅舎の整備を求める声がかねてから寄せられ続けていました。
これらの問題を解決するため新潟県・新潟市・JR東日本新潟支社は、新潟駅周辺の再整備に関する調査を1992年から開始しています。1994年からは在来線の連続立体交差化を目指し本格的な調査に移行しました。
また市は1997年、再整備構想の一環として南口側の国鉄清算事業団所有地(約3ha)を先行取得し、駐車場として仮供用を開始しています。同年には「新潟駅周辺整備検討委員会」が発足しています。さらに市では1999年、市民有志とともに市民意見交換会「わいわいガヤガヤ駅サイト」を開催し、市民の意向を反映させた計画づくりにも着手し、それ以降、県・市・JR新潟支社は本格的な計画の立案を進めています。
そして新潟駅周辺の在来線約2.5kmを高架化する「新潟駅連続立体交差事業」と、それに伴う駅周辺の環境整備を目的とした「新潟駅周辺整備事業」の具体案が2003年に発表され、2006年1月に都市計画が決定、同年7月に国土交通省より各事業の事業認可が順次下り、2007年から各工程が順次着手されています。
普通列車が停車しています
普通列車が停車しています
事業着手当初、市・JR新潟支社などは在来線高架部分について一部供用開始を2013年、全線供用を2015年、さらに全事業完了を2027年と目標を設定していたが、これは北陸新幹線の金沢駅開業が2014年度末の見込みであることから、それを見越した理想的な工程として設定したものだった上、実際の工程や用地買収が遅れたため、各工程の竣工は当初の見込みより大幅に遅延することが判明しました。こうした事態を受けて市とJRが工程の見直し作業を進めた結果、在来線立体交差化の全線供用目標を当初より6年遅れの2021年度中とする旨を3月29日、篠田昭新潟市長が記者会見の中で明らかにしています。市ではこれに伴い、立体交差化完了後に予定していた万代口駅前広場の整備事業に前倒しで着手し、導入を予定しているBRT(バス高速輸送システム)の開始予定時期に合わせ2014年度中の竣工を目標に整備を進める意向を示しています。
両事業では、大きく分けて3段階の手順を経て都市施設を整備する予定です。


第1期工事
第1期(2007年 - 2009年)においては、南口側の先行整備を実施しました。2009年9月に新潟県内で開催される「トキめき新潟国体・トキめき新潟大会」に備え、南口周辺の都市基盤整備を実施し、南口駅舎の改修、新駅ビル(CoCoLo南館・中央)の整備、南口駅前広場の拡張などが行われ、駅舎周辺部の施工は2009年9月19日に完工。また新潟市道弁天線の新潟駅南口交差点(新潟県道51号新潟黒埼インター笹口線=笹出線交点)周辺部の拡幅も完工しています。
南口ペデストリアンデッキは2007年冬から行われている「新潟駅連続立体交差事業」と「新潟駅周辺整備事業」の一環として整備されたもので、2009年2月20日から供用を開始した(東側通路と南口正面部の間を暫定供用。西側通路側は今後施工予定)。これによって駅舎と駅前広場が直結し、利便性が大幅に向上しました。
現在、南口側ではこの他にも大規模な改修工事が進められ、2009年1月には駅ビル「CoCoLo南館」が竣工し、同月末からデッキ供用開始の2月20日にかけて各テナントがオープンした。また駅前広場は拡張やロータリーの移設などの改修が行われ、このうち東側ロータリーのバスターミナルは同年3月30日から、西側ロータリーのタクシー待機場・送迎者自動車整理場は同年7月1日からそれぞれ供用を開始し、両ロータリーを挟んで駅舎中央部に設けられた中央広場は同年9月1日に完成。これにより、プラーカ1横にあった旧南口バスターナミルは一部を駐輪場に改修の上貸切バス用の停車場となり、広場中央にあった噴水モニュメント「水の神殿」は新潟市東区の下山スポーツセンター屋外広場に移築されている。
さらに9月19日には南口駅舎1階の改修が完工し、東改札・西改札それぞれへ通じる出入口が増設され、前出の駅ビルの新フロア「CoLoLo中央」と「あいぺこっと」がオープンした。
今後も引き続き細部の施工等が行われるが、大規模な改修は在来線の立体交差化と並行して進められる予定である。

第2期工事
現在事業中の第2期(2009年 - 2021年)においては、在来線の連続立体交差化を実施。在来線ホームは新幹線ホームと同じ3階に移設され、3面5線の高架ホームとなる。ホーム本数が減少するのに伴って、信越・白新線の新潟 - 上沼垂信号場間には留置線が1本増設される。越後線・新潟 - 白山間は信濃川橋梁の新潟方手前までが複線化され、西跨線橋の新潟方手前の高架上に留置線が4本新設される。また白山駅も改築され、ホーム下に駅舎を移設して南北間の自由通路を設け、ホームを1本増設して2面3線とするなど輸送力の増強が図られる。
工程順としては、2013年度までに信越線・白新線の仮線化を進めた上で在来線の一部に1面2線の仮設ホームを設置、併せて越後線の上所島・新上所島両跨道橋の架け替え、白山駅の3線化を竣工させる(当初見込みでは2010年度完成を予定)。その後は在来線の高架化を進め、2018年4月15日に信越線・白新線の一部高架化、越後線の全面高架化及び一部複線化を完了させたうえで新潟駅の高架ホームを2面4線で仮開業させる(当初見込みでは2013年度完成を予定)。この高架ホームの仮運用開始時から、新幹線と在来線が同一平面上で乗り換えできる在来線ホーム5番線および新幹線ホーム10番線の運用が開始される予定で[8]、新幹線と特急「いなほ」の乗り換え利便性向上などに活用される。その後も引き続き信越線・白新線の施工を進め、2021年度までに3路線の全面高架化と新潟駅の高架ホームの全面竣工を目指す(当初見込みでは2015年度全面竣工予定)。
また駅舎東西には都市計画道路「新潟駅東線」「新潟駅西線」、越後線の白山方には都市計画道路「新潟鳥屋野線」(新潟市道新潟鳥屋野線、現在の八千代橋と北越高校通りの各一部)など、駅南北を縦貫する幹線道路が新たに整備される。また既存の道路においても高架化完了後には、新潟市道明石紫竹山線(都市計画道路明石紫竹山線、東跨線橋通り)は跨線橋を撤去して在来線との交差部が平面化されるほか、現在進められている国道7号・栗ノ木バイパスの一部連続立体交差化事業(栗ノ木道路・紫竹山道路)の一環として、同バイパスでは在来線アンダーパス部の路盤嵩上げなどの改良工事が実施される。

第3期工事
第3期(2021年以降)には高架化完了後、駅舎の全面改築などを実施。高架化の際に撤去した万代口駅舎を改築するほか、ペデストリアンデッキの設置など南北駅前広場の再整備をはじめ、南北のバスターミナルを駅舎東側の高架下に設ける「交通広場」へ一元化する。また駅南北を縦貫する前掲の道路整備をはじめ、市内中心部の環状道路網の整備を引き続き進めるほか、都市計画道路「出来島上木戸線」の一部区間(笹出線・米山交差点 - 笹口交差点間1.2kmなど)で拡幅などを行う。また、現在笹出線に集中している南口側の東西方向の自動車交通を分散させるため、都市計画道路駅南線(新潟市道、愛称「けやき通り」)を西側へ延伸して新潟鳥屋野線と接続させる。その他の詳細については今後検討が進められる。
なお、連続立体交差事業の当初段階の設計においては、在来線ホームは万代口側から相対式の1番線、島式の2・3番線、4・5番線となっていた。だが、上越新幹線と白新線・羽越本線方面の特急列車「いなほ」との乗換えの利便性を高めるため設計が変更され、万代口側から島式の1・2番線、3・4番線とし、さらに新幹線ホーム11番線の万代口側に島式ホームを設置して、それぞれ在来線側に5番線、新幹線側に10番線が設けられ、同じホームでの乗換の便がはかられることになった。この設計変更は、現在計画が進められている羽越本線高速化の一環として行われたもので、前述の2018年の高架ホーム暫定供用開始時から運用を始める見込みである。
前述のとおり、連続立体交差化は2021年度中、周辺整備も含めた事業全体は2020年代の竣工を目指している。なお、これらの事業主体は当初新潟県であったが、新潟市が2007年4月1日に政令指定都市へ移行したのに伴い、事業主体は市に継承されている。

普通列車が停車しています
普通列車が停車しています
当駅は直営駅(駅長・助役配置)で、周辺駅を統括管理する地区管理駅を兼ねており、信越本線のさつき野駅 - 越後石山駅間、白新線の東新潟駅 - 西新発田駅間、越後線の越後曽根駅 - 白山駅間の各駅 が当駅の被管理駅となっています。
みどりの窓口は万代口・東口にあります。指定席券売機は万代口・西口・東口に設置されています。なお、新幹線東口インフォメーションコーナーはジェイアール新潟ビジネスに業務が委託されています。
全ての改札口にSuica対応の自動改札機が設置されています。在来線改札では全通路でSuica(相互利用可能なカード含む)が使用可能です。新幹線改札ではモバイルSuica特急券と長岡 - 新潟間のSuica定期券が利用できます。
在来線ホームは、2018年5月現在、2〜5番線が高架上、8・9番線が地上に設置されています。なお、2番線ホームは高架駅としては工事未完工のため、ホームへは階段のみ(一部は車椅子用昇降機付き)となっているほか、ホームの幅が極端に狭いことから、地元メディアが接触事故などの危険性を指摘しています。
在来線高架ホームにおいては、きらきらと舞い降りる雪と輝く海をイメージしたオリジナルの発車メロディ(曲名、「冬」)が使用されているほか戸閉自動放送も導入されている。
在来線ホームには地上・高架共に非常停止ボタンは設置されておらず、ホーム上の柱などに非常停止用赤旗が設置されています。
8・9番線は頭端式構造で、旧1番線東側を切欠いて設置されています。高架ホームと地上ホームは万代口への連絡通路を兼ねる2本の跨線橋で連絡している。普通列車に関してはホームを効率的に運用するため、方面別の振り分けは特に決まっていません。また8、9番線は発車メロディーは導入されておらず発車ベルであり自動放送の導入も一切されておらず全て駅員による肉声案内です。今時珍しいですね。
かつての在来線ホームは万代口駅舎と南口駅舎の間の地上部にあり、2012年11月3日までは単式ホーム1面1線(1番線)島式ホーム3面6線(2番線 - 7番線)を有していました。2012年11月4日以降は単式ホーム1面1線、島式ホーム2面4線(2013年4月7日以降は島式ホームの1面2線が単式ホーム1面1線に変更)を有していました。

新幹線ホームは高架部3階にあり、島式ホーム2面4線を持ちます。11〜14番線ホームは16両編成の列車に対応しています。
開業当初は当駅へ乗り入れる列車は最大12両編成であったため、新潟新幹線車両センター方の4両分のスペースを閉鎖して客扱いを行っていた。しかし2012年3月17日のダイヤ改正からは新潟駅に16両編成の列車が乗り入れるようになったため、これに合わせて駅設備の対応工事が行われています。
上越新幹線の終点で全列車停車を前提としているため熊谷駅以北の駅で唯一、通過本線がないのです。11・13・14番線ホーム頭上に電光式の乗車位置案内表示機が設置されています。2018年4月の在来線高架化第1期開業時に、11番線の反対側にホームが新設され、在来線の5番線ホームと2ヶ所の乗り換え改札を介して対面(同一平面上)での乗り換えが可能になっています。このホームは「のりかえホーム」と称し、独立したホーム番号を持たず、新幹線コンコースに直接出入りすることが出来ないので注意が必要です。のりかえホームは最長12両編成分しかホームがなく、そのため11番線に入線する車両はE2系10両編成、E4系8両編成またはE7系12両編成となる。いなほ号との接続列車がE4系16両編成の場合12番線に入線するため、一部の列車は対面ではのりかえられないことがあります。なお、11番線ホーム(12番線との島式ホーム)も継続して使用されており、11番線は「両側のドアが開く」新幹線ホームとなっている。のりかえホームの新幹線側には上越新幹線では唯一の可動式安全柵が設置されています。
駅弁が販売されていますが、売店での販売で、在来線ホーム・新幹線ホームとも通常は立売りを行いません。


1904年(明治37年)5月3日、北越鉄道 沼垂駅 - 新潟間延伸開業時に開業しました。
1907年(明治40年)8月1日、北越鉄道国有化、国有鉄道の駅となります。
1935年(昭和10年)4月1日、2代目駅舎に改築します。
1943年(昭和18年)11月1日、信越本線貨物支線が関屋駅まで開業します。
1951年(昭和26年) 4月5日、信越本線貨物支線 亀田 - 万代間が開業します。
6月25日、新潟 - 関屋間の旅客営業を開始します。
1956年(昭和31年)4月15日、白新線が開業します。
1958年(昭和33年)4月29日、新潟付近を現在のルートに変更、現在地に移転開業。3代目駅舎を供用開始します。
1961年(昭和36年) 1月14日、国鉄新潟支社仮庁舎が火災により焼失する。(´;ω;`)
12月22日、駅舎部分の増築が完了、4階建てとなる。
1962年(昭和37年)5月20日、構内電化。
1964年(昭和39年)6月16日、新潟地震で被災し、駅舎・ホームが一部損壊する被害が出ました。(´;ω;`)
1965年(昭和40年)8月20日、万代駅までの信越本線貨物支線が廃止される。
1982年(昭和57年) 4月1日、専用線発着の車扱貨物の取扱を廃止される。
5月20日、南口駅舎供用開始、同時に東側連絡通路が開通します。
11月15日、上越新幹線が開業します。
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化によりJR東日本が継承します。
1989年(平成元年)3月30日、西側連絡通路が開通、歩行者・自転車の駅の南北往来が24時間可能となります。
1991年(平成3年)11月、新潟運転所が閉鎖、新津駅構内の新津運輸区へ移転します。
1999年(平成11年)12月17日、ISO9001認証取得。
2000年(平成12年)6月30日、南口駅舎で南中央口の暫定供用を開始します。
2001年(平成13年)10月1日、万代口待合室が改装、「メディアステーションbanana」を開設します。
2004年(平成16年) 10月1日、駅ビルの愛称を「CoCoLo(ココロ)」に統一。
11月27日、自動改札機の運用を開始します。
2006年(平成18年)1月21日、ICカード「Suica」のサービスを開始します(同月28日より首都圏・仙台都市圏と併せてモバイルSuicaの運用も開始)。
2008年(平成20年)3月15日、「モバイルSuica特急券」のサービスを開始します。
2009年(平成21年) 2月20日、南口駅舎2階のペデストリアンデッキを供用開始、駅ビル「CoCoLo南館」がグランドオープンします。
9月19日、南口駅舎1階・駅前広場の改修が完工、駅ビル「CoCoLo中央」がグランドオープンします。
2011年(平成23年)9月13日、万代口コインロッカー前にて、不審物騒動。新潟県警察により万代口が2時間以上閉鎖されます。
2012年(平成24年)11月4日、駅構内にて仮設線への切り替え工事を施行。前日11月3日の終電をもって廃止した6・7番線に代わり、1番線東側(東新潟・越後石山方面)に開設した仮設ホーム(8・9番線)の運用を開始します。
2013年(平成25年) 3月15日、当日の終電車をもって5番線の定期運用を廃止し、4月上旬に施設を撤去します。
4月8日、南口・西側連絡通路沿いに「ホテルメッツ新潟」と駅ビル「CoCoLo西館」(9階建)がオープンします。
6月25日、西側連絡通路の在来線ホーム架設部を仮通路へ切り替え。
10月27日、東側連絡通路の在来線ホーム架設部を仮通路へ切り替え。
2015年(平成27年) 9月5日、新バスシステム開業に伴い、万代口広場においてBRT萬代橋ライン専用乗り場の運用を開始します。
2018年(平成30年) 4月15日、高架駅第一期開業。これにより、地上の1番線 - 4番線が廃止となり、高架の2番線 - 5番線の供用を開始します。また、高架2〜5番線および信越線・白新線の上沼垂信号場〜高架ホーム間、越後線の信濃川橋梁付近〜高架ホーム間の保安装置がATS-Pとなる。なお、地上の8・9番線は引き続き使用。保安装置はATS-Psのまま。新幹線11番線と在来線5番線で対面乗り換えを開始。CoCoLo西N+(5店舗)が開業します。
11月1日、びゅうプラザが平日の閉店時間を1時間繰り上げします。
12月22日、新幹線の待合室をリニューアルします。
のりば
番線 路線 行先
在来線高架ホーム
1 整備中
2-5 信越本線 新津・長岡方面
磐越西線 五泉・会津若松方面
白新線 豊栄・新発田方面
羽越本線
越後線 内野・吉田方面
新幹線ホーム
11-14 上越新幹線 高崎・東京方面
在来線地上ホーム
8-9 信越本線 新津・長岡方面
磐越西線 五泉・会津若松方面
白新線 豊栄・新発田方面
羽越本線
5番線と11番線(のりかえホーム)は対面乗換が可能です。
8・9番線は全列車当駅始発
高架ホームの1番線を現在設置中である設置後8.9番線は廃止予定。
「新潟駅付近連続立体交差事業」の進捗に伴って、在来線ホームのうち4号ホーム(6・7番線)は2012年11月3日新潟駅発の終電をもって廃止となり、11月4日未明から昼にかけて実施した仮設線切り替え工事の終了後、新たに1番線東側(新津・新発田方)を切り欠く形で設けられた頭端式の仮設ホーム(8・9番線)の供用を開始し、最大7両編成の列車が発着可能となり現在も使用しています。
また、2013年3月16日のダイヤ改正に合わせ、3号ホーム(4・5番線)のうち5番線の定期列車の発着を取りやめ、4月6日の車両展示イベントを最後に運用を終了し、同年9月30日をもって連絡地下道の4番線側が閉鎖されています。さらに、2018年4月15日から在来線高架ホームの一部開業(2 - 5番線)に伴い、在来線ホーム旧1 - 旧4番線が同年4月14日をもって使用停止され、連続立体交差事業の工事が進められます。
上越新幹線は当駅より更に南東側へ、白新線にほぼ並行しながら高架橋が続いており、終端部には新潟新幹線車両センターが設けられています。