草津(くさつ) |
東海道線 |
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栗東 |
→ |
草津 |
→ |
南草津 |
草津線 |
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手原 |
→ |
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所在地 |
滋賀県草津市渋川一丁目1-16 |
所属事業者 |
西日本旅客鉄道(JR西日本) |
駅構造 |
地上駅(橋上駅) |
ホーム |
3面6線 |
乗降人員 |
58,114人/日(2023年) |
開業年月日 |
1889年(明治22年)7月1日 |
乗入路線 2路線 |
所属路線 |
■東海道本線(琵琶湖線) |
駅番号 |
JR-A24 |
キロ程 |
491.4km(東京起点) |
所属路線 |
■草津線 |
キロ程 |
36.7km(柘植起点) |
駅種別 |
直営駅(管理駅) みどりの窓口 みどりの券売機プラス設置駅 |
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草津駅 |
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草津駅(くさつえき)は、滋賀県草津市渋川一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
当駅から京都駅・大阪駅・神戸駅を経由して山陽本線(JR神戸線)の西明石駅(兵庫県明石市)までの約120 kmが複々線区間であり、日本最長の複々線区間の起点駅である。
東海道本線と草津線の2路線が乗り入れ、東海道本線を所属線とする。
東海道本線は「琵琶湖線」の路線愛称設定区間に含まれている。
草津線は当駅を終着駅とし、一部の列車は東海道本線の京都方面との直通がある。
駅番号は東海道本線(琵琶湖線)にのみJR-A24が付与されている。
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駅名標 |
改札口 |
駅構造 非電化時代は駅本屋に面した単式ホームが草津線用の1番のりばと下り本線の2番のりば、ホームのない中線を挟み、上り本線である3番のりばと同副本線の4番のりばの島式ホームという構造であった。
電化工事にあたって、草津駅に電力工事区が設置された。
1965年(昭和30年)11月、琵琶湖側に延長260 mのプラットホームが1本新設された。
構内の線路は4本だったのが6本に増え、東海道本線は島式ホーム2面4線で下り線には貨物待避線を持ち、草津線は単式ホーム1面1線であった。草津線のホームには貨物ホームや貨物仕分線なども設置されていた。
構内にある草津川トンネルは当時供用していたトンネルの琵琶湖側18 mの位置に上下線用のトンネルを新設した。この時、架線を張るために大径のトンネルを建設することから草津川の河床は70
cm上げられ、水害対策として川幅も20 mから30 mに拡幅されている。この工事に先立つ1952年(昭和27年)には草津川を平地化する案も出たが、費用面で滋賀県と国鉄の調整がつかずトンネル化に落ち着いた経緯がある。
電化は1956年(昭和31年)11月19日に完成し、東海道本線の列車の本数は増加したが、当時非電化だった草津線との直通列車がなくなったことで草津駅で全て乗り換えなければならなくなり、草津線ユーザーからは直通列車を復活するよう要望が出されることとなった。
1967年(昭和42年)4月12日に橋上駅に改築された。
なお、橋上駅舎を設けた鉄道駅は滋賀県内に限ると当駅が最初の駅であった。
1970年(昭和45年)3月9日に輸送需要の増大が予想され当駅 - 京都駅間が複々線化。これに伴いホームが増設された。
また、折り返し施設や貨物待避線の新設が行われた。
さらに同年11月に草津線の線路を変更し東海道本線からの直通草津線上り列車は東海道本線を立体交差で越える構造になった。駅の配線切替は12か月にわたって計52回行われ、1969年(昭和44年)5月31日から翌日に行われた作業は翌日まで16時間かけて行われたもので作業員1350人、運行に影響が及んだ列車400本を超えた。
草津線の旧線路敷は道路に転用されている。草津線(旧線)分岐点横には草津線用蒸気機関車の転車台・給炭所・給水塔の設備もあった。現在それらの跡地は保守車両基地とマンションになっている。
かつては貨物業務の扱いと草津線直通列車の機関車の交換作業と操車場機能があった。
上下線の外側には側線が残っているが、現在は使用されていない。
草津線を開業した関西鉄道が駅南側に検修庫などを持っていた。
使用廃止後も跡地が平成になるまで残っていたが、現在は近鉄百貨店草津店とマンション(近鉄不動産物件)になっている。
のりば
番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
備考 |
1・2 |
■ 草津線 |
- |
貴生川・柘植方面 |
京都からの直通電車は5・6番のりば |
3・4 |
■ 琵琶湖線 |
下り |
京都・大阪方面 |
草津線からの直通電車は2番のりば |
5・6 |
上り |
米原・長浜方面 |
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- 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
付記事項
- 島式ホームを計3面8線を持つ。東京方には東海道本線(琵琶湖線)の上下を挟んで中央に有効長260 mの電留線(折り返し施設)が設けられ、列車が東海道本線をまたいで草津線に入れる高架橋が設けられている。草津を境に東京方が複線、神戸方が複々線であるが、方向別複々線のため上下線の列車で平面交差が生じていない。
- 上下線の外側には有効長600 mの貨物待避線が設置されている。京都方から草津線へ入る列車は5・6番線に入線してから東海道本線をオーバーパスするが、それ以外の草津線の列車は1・2番線から発着する。
- 当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として東海道本線の安土駅・近江八幡駅・篠原駅・野洲駅・守山駅・栗東駅・南草津駅と、草津線内のすべての中間駅を管理している。IC乗車カード「ICOCA」の利用エリア内である。
運転線路呼称
- 草津1番線(1番のりば、草津線)
- 1番線(2番のりば、草津線 - 東海道本線)
- 2番線(ホームなし、東海道本線下り待避線、2番のりばと3番のりばの間)
- 3番線(3番のりば、東海道本線下り外側線)
- 4番線(4番のりば、東海道本線下り内側線)
- 5番線(5番のりば、東海道本線上り内側線)
- 6番線(6番のりば、東海道本線上り外側線)
- 7番線(ホームなし、東海道本線上り待避線、6番のりばの外側)
特記事項
- 琵琶湖線ホームには終日、駅係員が常駐し旅客の整理および客扱終了合図を行っている。
- 1番のりばは行き止まり式で、草津線の到着・出発と東海道本線下り到着が可能。
- 駅の北側には4・5番線のみ出入り可能な留置線が2本あり、当駅折り返し列車が使用する。
- 駅南側に旧草津川の天井川トンネルがあるため、トンネルを越えた南側に内外転線の渡り線を持つ。
- 東海道本線下りは場内・出発と第二出発を、また上りは第一場内・第二場内と出発の各信号機を持つ停車場である。
- 草津線場内信号には1番線(2番のりば)の誘導信号機が併設されており、草津線列車を本線上り列車の後方へ連結することができる。
- JR京都・神戸線運行管理システムの導入以前は、駅自動放送を用いず、すべて駅係員の肉声で案内を行っていた。
ダイヤ
東海道本線
日中時間帯は1時間に7本(新快速が3本(うち1本は当駅発着)、普通(大阪方面行きは高槻駅から快速)が4本)が停車する。朝夕のラッシュ時は本数が多くなる。
優等列車
国鉄時代は特急・急行列車は停車していなかったが、2003年6月1日から下記の特急列車が停車するようになった。 当駅には下記の特急列車が停車する。
- 「はるか」(野洲発着、ただし下り1本は当駅始発)、「ひだ」(大阪発着)、「らくラクびわこ」(米原発着:上り1本は当駅止まり)
草津線
日中時間帯は1時間に2本が発着するが、平日は1時間に1本となる時間帯もある。なお、朝夕のラッシュ時は京都駅方面へ直通する列車(京都行きは朝と夕方以降(平日朝は1本のみ網干駅へ直通)、京都駅始発は夕方以降)も運行される。
貨物取扱 2009年までは日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあったが、臨時車扱貨物のみの取り扱いであり、最後まで貨物列車の発着はなかった。これは一旦廃止された貨物取扱を、国鉄分割民営化直前に将来の貨物取扱再開に備え「開閉期間・取扱範囲は別に定める」として再開させたものであった。
民営化前の1986年まで旅客駅西口の北側に有蓋車用の貨物ホームが存在した。
歴史
- 1889年(明治22年)
- 7月1日:官設鉄道の駅として分岐点(後の深谷) - 馬場駅(現在の膳所駅)間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。延伸開業区間で最も古い6駅(長岡、米原、彦根、能登川、八幡、草津)のひとつ。
- 8月1日:構内での飲食物販売開始。
- 12月15日:関西鉄道 当駅 - 三雲駅間開通。
- 1895年(明治28年)4月1日:線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
- 1907年(明治40年)10月1日:関西鉄道が国有化される。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。旧・関西鉄道の柘植駅 - 草津駅間が草津線となる。
- 1955年(昭和30年)12月:5・6番ホームを増設。
- 1956年(昭和31年)11月19日:米原駅 - 京都駅間の電化が完成し、草津駅も電化される。草津駅 - 京都駅間の列車が35往復から42往復に増便され、ほぼ30分に1本の利便性になった。
- 1967年(昭和42年)4月12日:現在の橋上駅舎が完成、使用開始。
- 1968年(昭和43年)4月10日:西口開設。
- 1970年(昭和45年)
- 3月9日:当駅 - 京都駅間の複々線化が完成。
- 11月:草津線の付替が行われ、高架の新線で運行が開始される。
- 1971年(昭和46年)4月26日:当駅発着となる新快速の運転が開始される。
- 1980年(昭和55年)3月3日:草津線の電化工事が完成。
- 1986年(昭和61年)11月1日:貨物の取り扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)
- 3月31日:貨物の取り扱いが再開。ただし以降の貨物取り扱い実績はない。
- 4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
- 1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、東海道本線で「琵琶湖線」の愛称を使用開始。
- 1998年(平成10年)3月22日:自動改札機を設置し、供用開始。
- 2002年(平成14年)7月29日:JR京都・神戸線運行管理システム導入。
- 2003年(平成15年)
- 3月15日:改札内のエレベーター、エスカレーターが使用開始。
- 11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
- 2007年(平成19年)3月18日:駅自動放送を更新。
- 2009年(平成21年)3月14日:JR貨物の駅が廃止され、貨物の取り扱いは再び終了。
- 2015年(平成27年)3月12日:入線警告音の見直しに伴い、接近メロディ導入。
- 2016年(平成28年)3月26日:大阪駅へ直通する特急「しなの」の運行が廃止されたため、寝台特急を除く全ての定期特急列車が当駅に停車するようになる。
- 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。
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