IGRいわて銀河鉄道・奥中山高原駅
奥中山高原(おくなかやまこうげん)
いわて銀河鉄道線   御堂 奥中山高原 小繋
所在地 岩手県二戸郡一戸町中山字大塚76-3
所属事業者 IGRいわて銀河鉄道
所属路線 いわて銀河鉄道線
キロ程 44.4km(盛岡起点) 東京から579.7km
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員 309人/日(2024年)
開業年月日 1891年(明治24年)9月1日
駅種別 社員配置駅
奥中山高原駅
奥中山高原駅
奥中山高原駅(おくなかやまこうげんえき)は、岩手県二戸郡一戸町中山字大塚にある、IGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線の駅である。

改札口 ホーム
改札口 ホーム
駅名標 IGR7000系電車
駅名標 IGR7000系電車

駅構造

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅である。
2番線は待避線で旅客列車はそのまま発車するが、貨物列車の場合、駅構外は勾配のため有効長が短く、2番線には加速線があった。
このため貨物列車は入線して特急列車を待避後、一旦後退してから出発していた。
現行ダイヤでは列車待避を必要とする貨物列車はないため、このような運用は見られなくなった。
二戸駅管理の社員配置駅。駅舎には出札窓口があり、硬券入場券・乗車券が常備されている。

のりば

番線 路線 方向  行先
1 いわて銀河鉄道線 上り 盛岡方面
2 (上下ともに一部の列車) 
3 下り  八戸方面

歴史

  • 1891年(明治24年)9月1日:日本鉄道の中山駅(なかやまえき)として開業。
  • 1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道が国有化。官設鉄道東北本線の駅となる。
  • 1915年(大正4年)9月11日:奥中山駅(おくなかやまえき)に改称。改称理由は横浜線の中山駅と区別するためで、本来は「陸奥中山」[4]とするつもりが、「陸」の字を改名手続きの際に書き落としたことから「奥中山」になってしまったと言われている。
  • 1940年(昭和15年):駅舎改築。
  • 1947年(昭和22年)8月10日:昭和天皇の戦後巡幸のお召し列車が停車。昭和天皇が下車して奥中山開拓農場視察に向かう。
  • 1971年(昭和46年)8月15日:貨物取扱廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物扱い廃止。
  • 1985年(昭和60年)3月14日:無人化。管理駅派遣により出札は継続。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
  • 2002年(平成14年)12月1日:東北新幹線八戸延伸に伴い、JR東日本より分離されたIGRいわて銀河鉄道の駅となる。同時に奥中山高原駅に改称。
  • 2008年(平成20年)6月24日:名誉駅長に、ヨークシャー・テリアの「マロン」が就任。
  • 2009年(平成21年)
    • x月:管理区分変更により、いわて沼宮内駅管理から二戸駅管理となる。
    • 8月29日:名誉駅長「マロン」が病死。
  • 2015年(平成27年)6月:ヨークシャー・テリアの「マック」が”駅長見習い”として認知される。
  • 2017年(平成29年)6月21日:「マック」が交通事故死。