東淀川(ひがしよどがわ) |
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所在地 |
大阪市淀川区宮原二丁目3-17 |
駅番号 |
JR-A45 |
所属事業者 |
西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 |
■東海道本線(JR京都線) |
キロ程 |
551.9km(東京起点) |
駅構造 |
地上駅(橋上駅) |
ホーム |
2面4線(乗降は2面2線のみ) |
乗降人員 |
14,492人/日(2023年) |
開業年月日 |
1940年(昭和15年)4月1日 |
駅種別 |
直営駅 みどりの券売機プラス設置駅 大阪市内駅 |
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東淀川駅 |
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東淀川駅(ひがしよどがわえき)は、大阪府大阪市淀川区宮原二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。駅番号はJR-A45。「JR京都線」の愛称区間に含まれている。 特急・新快速・快速は停車せず、普通(京阪神緩行線)のみが停車する。
駅名が「東淀川駅」となっている理由は、当初所在地が大阪市東淀川区に属していたからである。
1974年7月22日に大阪市の区の増設が行われ、22区制から26区制に変更されたのに伴い旧東淀川区も東西に2分割され、東半分は東淀川区の区名を継承し、西半分は淀川区となった。
この東西分割が東海道本線の東端に沿って行われたため、当駅は東淀川区ではなく淀川区に取り込まれることとなり、阪神本線の淀川駅(所在地は福島区)と混同を避けるために、駅名の改称も行われなかったため、所在地の区名との同一性は失われた。
その後、東淀川区にJRの駅がない状態が続いていたが、2019年3月16日に、新大阪駅から2駅東隣におおさか東線のJR淡路駅が開業した。
東海道本線における大阪支社の管轄対象駅では最も東にある。
JRの特定都区市内制度における「大阪市内」の駅であり、東海道線としては最も東になる。
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駅名標 |
改札口 |
駅構造
自由通路付き橋上駅舎を有する地上駅。駅舎の改札内に男女別水洗トイレと多機能トイレがある。
エレベーターはホームそれぞれに1台ずつ、駅外から駅舎に入るためのエレベーターが東西に1台ずつ、計4台ある。
エスカレーターはホームから駅舎へ上がるエスカレーターがそれぞれのホームに1台ずつ、駅外から駅舎に入るためのエスカレーターが東西に1台ずつ、計4台あり、いずれも上りのみ。
自由通路は自転車の通行にも対応しているため、駅外から駅舎内に上がるためのつづら折れの長いスロープも東西に一つずつ設置されており、駅舎内の自由通路部分もタイル張りなどではなくアスファルト舗装になっている。
乗り場は島式ホーム2面4線(乗降は2面2線のみ)の配置になっている。
下り列車の出発相当の信号機は新大阪第1場内信号機であるが、ひめじ別所駅のように「下りが停車場・上りが停留場」ではなく、上下とも「停留場」である。
分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。各駅停車のみが停車するので、内側の2線を使用している。
外側線に面した1、4番のりばには柵が設置されている。
ホームの有効長は長いものの、列車は吹田寄り(北側)に停車する。ホーム屋根も新大阪寄りには設置されていない。
アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA利用可能駅(相互利用対象カードも利用可能)である。
直営駅であるが駅長は配置されておらず、新大阪駅が当駅を管理している。
当駅付近では東海道線の西側に梅田貨物線が並走しているが、ホームは設置されておらず、運賃計算上も当駅を経由しない。
梅田貨物線を走る特急「はるか」「くろしお」、おおさか東線の列車は通過する。
のりば
番線 |
路線 |
方向 |
線路 |
行先 |
1 |
■JR京都線 |
下り |
外側線 |
(通過列車のみのため閉鎖) |
2 |
■JR京都線 |
下り |
内側線 |
新大阪・大阪・三ノ宮方面 |
3 |
上り |
高槻・京都方面 |
4 |
■JR京都線 |
上り |
外側線 |
(通過列車のみのため閉鎖) |
ダイヤ
日中時間帯は1時間に8本が停車する。朝ラッシュ時は本数が多くなる。
歴史
戦前の新幹線計画である「弾丸列車計画」において、弾丸列車線の「新大阪駅」になる予定であった駅が、この東淀川駅である。 駅そのものは、1940年4月1日、沿線の工業発展による人口増加を受け、東海道本線上に先行して設置された。
戦後、東海道新幹線の建設の際、「将来の山陽新幹線の延伸を考えて北方貨物線に並行して建設した方がいい」ということで建設計画が変更され、南側の東海道本線と北方貨物線の分岐点に設置されたのが、1964年10月1日に開業した現在の新大阪駅である。
当駅は新大阪駅の開業時に至近となるため、国鉄はそれを代替駅として廃止する方針であったが、周辺住民から苦情が出たために存続したと言われている。
当駅と新大阪駅の間の営業キロが0.7 kmと、JR線としては比較的短い理由は、上記のような経緯による。
2018年までは東口・西口双方に平屋の駅舎があり、駅舎間、およびホーム同士は地下道で連絡していた。
地下道は一部が仕切られていて東西の自由連絡通路として使用されていた。
トイレは東口駅舎内にのみ設置されていた。2018年に橋上駅舎が建設された。
年表
- 1947年(昭和22年)
- 4月11日:国有鉄道東海道本線の千里丘駅 - 吹田駅間(吹田操車場付近)に新設開業。旅客扱いのみ。
- 6月6日:昭和天皇が吹田操車場に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)、お召し列車が東淀川駅に発着。
- 1970年(昭和45年)6月25日:鉄筋コンクリートの旧駅舎が完成し、使用を開始。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「JR京都線」の愛称を使用開始。
- 1997年(平成9年)7月19日:自動改札機を設置し、供用開始。
- 2002年(平成14年)7月29日:JR京都・神戸線運行管理システム導入。ホームに電光掲示板設置。
- 2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
- 2007年(平成19年)3月18日:駅自動放送を更新。
- 2008年(平成20年)2月20日:改札口に電光掲示板設置。
- 2009年(平成21年)10月17日:橋上駅舎化に伴い、旧駅舎の一部が削られるため、窓口と改札口の位置が変更される。
- 2010年(平成22年)1月17日:橋上駅舎化に伴い、2番のりばを1両分、3番のりばを2両分仮ホームに移設。
- 2012年(平成24年)
- 3月17日:橋上駅舎が仮供用開始。同時にみどりの券売機、エレベーター、エスカレーターが供用開始。ホームのかさ上げ工事が完成すると同時にホームを高槻・京都方面へ2両分移設。
- 5月21日:北口開設。北口駅前広場が供用開始。
- 2013年(平成25年)9月23日:駅構内にハート・インが開店。
- 2015年(平成27年)
- 3月12日:入線警告音の見直しに伴い、接近メロディ導入。
- 3月14日:南口駅前広場の改修工事が完成。これにより、橋上駅舎化事業がすべて完了。
- 2018年(平成30年)
- 3月17日:駅ナンバリングを導入。
- 11月17日:駅北側に商業施設「VIERRA東淀川健都」が開業。駅コンコースと新たに建設した100 mを超える長さのペデストリアンデッキ(後掲の跨線橋写真参照)で直結。
- 2021年(令和3年)
- 11月30日:この日をもってみどりの窓口が営業終了。
- 12月1日:みどりの券売機プラスが稼働開始。
開かずの踏切と橋上化
東淀川駅の北側にはかつて北宮原踏切(北宮原第1踏切・北宮原第2踏切)が、同じく南側には南宮原踏切があったが、いずれも「開かずの踏切」として長い間問題視されていた。
踏切以外に線路を渡る手段としては、付近に歩道橋と前述の地下道があったがいずれもバリアフリー非対応であり、交通弱者は踏切を横断するしかなかった。
2016年5月11日、JR西日本は東淀川駅を橋上化し自由通路を設置、北宮原と南宮原踏切ならびに駅地下通路を廃止する計画を発表した。踏切の廃止と自由通路の新設は大阪市との共同事業で、2018年末までに供用を開始することを目指し、自由通路にはバリアフリー対策として、エスカレーターとエレベーター、スロープが設置されるという。
年表にもある通り、2011年4月11日にはエレベーターのみで昇降可能な跨線橋がすでに設置されており、東口から2・3番のりばへの構内バリアフリールートが確保されていたが、西口から2・3番のりばへのエレベーターは設置されていなかった。
橋上駅舎の建設は、この跨線橋を大規模に拡張する形で行われたものである。
橋上駅舎・自由通路は2018年11月11日に供用を開始し、同時に北宮原踏切・南宮原踏切および駅構内の地下道は廃止された。 |
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