JR西日本・JR貨物・石山駅
石山(いしやま)
東海道線 瀬田 石山 膳所
所在地 滋賀県大津市粟津町3-1
駅番号 JR-A27
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 東海道本線(琵琶湖線)
キロ程 499.1km(東京起点)
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗降人員 41,368人/日(2023年)
開業年月日 1903年(明治36年)4月1日
乗換  京阪石山駅(京阪石山坂本線) 
駅種別 直営駅 みどりの券売機プラス設置駅
石山駅
石山駅
石山駅(いしやまえき)は、滋賀県大津市粟津町(あわづちょう)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅である。
駅番号はJR-A27。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれている。
石山駅は瀬田川橋梁のすぐ西側に位置する。
大津市南部の拠点であり、大津市の南部地域へのバス路線や京阪石山坂本線との乗換駅になっている。
駅周辺には商店街が形成され、工場も多い。
定期客が多く通勤や通学での利用が盛んである。

駅名標 改札口
駅名標 改札口
京阪石山駅 新快速
京阪石山駅 新快速

駅構造

島式ホーム2面4線に外側待避線を持つ地上駅で橋上駅舎を有している。
改札口の横にキヨスク、旧みどりの窓口の横にセブンイレブン石山店がある。
改札外部は北口・南口でエレベーターやエスカレーターが設置されている。
直営駅(大津駅の被管理駅)である。
自動券売機(定期券の購入が可能)、みどりの券売機、みどりの券売機プラスが設置されている。
また、ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象カードも利用可能。

のりば

番線 路線 方向 線路  行先 備考 
1  琵琶湖線    下り  外側線 京都・大阪方面  一部列車
2 内側線  
3 上り 彦根・米原方面  
4 外側線 一部列車

  • 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で記載している。
運転取り扱い上の呼称
  • 1番線(ホームなし、下り外側待避線)
  • 2番線(1番のりば、下り外側線本線)
  • 3番線(2番のりば、下り内側線)
  • 4番線(3番のりば、上り内側線)
  • 5番線(4番のりば、上り外側線本線)
  • 6番線(ホームなし、上り外側待避線)
付記事項
  • ホームの有効長は260 mで、現行は12両に対応しているが将来的に16両まで対応できるよう想定されている。
  • 待避線(有効長600 m)を有するため、場内信号機・出発信号機を持つ。しかし、駅付近には「外側線→待避線」(逆方向もある)以外の渡り線が設けられていない。
  • 上下線のホームでエレベーター・エスカレーターが設置されている。

ダイヤ

日中時間帯は1時間に7本(新快速が3本、普通(大阪方面行きは高槻駅から快速)が4本)が停車する。朝夕のラッシュ時は草津線へ直通する普通も運行されるため、本数がやや多くなる(夕方はラッシュ前から草津線に直通する列車の設定がある)。

貨物の取り扱い

2007年まで専用線発着の車扱貨物を取り扱っており、貨物列車の設定があった。現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っており、貨物列車の発着は無い。
駅北側にある日本電気硝子大津事業所へ関西日本電気が保有する専用線が上り線側から分岐し、石油輸送を行っていた。そのため塩浜駅 - 当駅間に石油輸送貨物列車が運行されていた。
駅南側にある東レ滋賀事業場へ専用線が下り線側から分岐し、石油輸送を行っていた。災害時など公共性の面があるため権利だけは残っている。しかし、線路は2009年7月頃にすべて撤去されており、国道1号との平面交差の踏切のレールも外され溝は埋められ、専用線の路盤のみ残存している。なお、京都鉄道博物館で静態保存されている1801号機(鉄道記念物)は、1964年に国鉄に寄贈されるまではこの専用線での入換作業で使用されていた。

歴史

1889年(明治22年)に東海道線が敷設されたが、石山駅はのちの1903年(明治36年)に開設された。位置は旧膳所町にあたるが、石山駅の名称は石山寺への入口を意識したものと考えられる。
開業当初は広い平野の中に小さな駅舎があるのみで、乗降客は少なかった。次第に駅前に茶店や運送店が開店するようになったが、本格的に駅が発展するようになったのは旭絹織(旭ベンベルグ絹絲を経て、現在の旭化成)や東洋レーヨン(現在の東レ)などの工場が操業した大正末期からである。1928年(昭和3年)12月から駅舎の改築補修や駅前の区画整理が行われ、1929年(昭和4年)4月1日に竣工した。この駅舎は木骨コンクリート製で洋風の建築であり、当時は横浜駅・金沢駅でしか導入されていなかった1人ずつ処理する方式の出札口が導入された。
石山駅の存在が東レなど工場が立地するきっかけとなり、東海道本線や草津線の広い範囲で労働力を求めることができるようになった。また、工場内への専用線を設置することで、原材料の入荷や製品の出荷に利便が図られた。第二次世界大戦後はさらに多くの企業が進出し、駅周辺が工業の町となり、石山駅を利用する貨客の数は本格的に増加した。なお、石山駅には上下線で工場への専用線があったが、既に廃止されている。
1965年(昭和40年)から1970年(昭和45年)にかけて東海道本線草津 - 京都間で複々線化工事が実施されたが、石山駅では駅舎の改築や駅北口の新設、駅前広場の新設・整備が関連工事で行われた。貨物用の待避線が上下線で設置されたほか、3線に対応したホームを改良して2面4線のホームになった。これらの工事が石山駅周辺に平和堂石山店(現在の平和堂石山)や西友石山店(現存しない)が出店するきっかけとなる。

年表

  • 1903年(明治36年)4月1日:官設鉄道東海道線(1909年より東海道本線)の草津駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間に新設開業。旅客扱いのみ。
  • 1908年(明治41年)3月15日:貨物の取り扱いを開始。
  • 1912年(大正元年)4月1日:跨線橋が設置される。
  • 1929年(昭和4年)4月1日:駅舎が改築され、平屋の駅舎が使用開始になる。
  • 1930年(昭和5年)4月25日:東海道線石山駅急行列車脱線転覆事故が発生(後述)。
  • 1956年(昭和31年)11月19日:東海道本線が電化する。
  • 1970年(昭和45年)
    • 2月10日:橋上駅になる。
    • 3月9日:京都 - 草津間が複々線化する。
    • 3月12日:切符の自動販売が開始される。
    • 4月17日:北口の使用開始。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
  • 1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「琵琶湖線」の愛称を使用開始。
  • 1998年(平成10年)3月7日:自動改札機を設置し、供用開始。
  • 2002年(平成14年)7月29日:JR京都・神戸線運行管理システム導入。
  • 2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
  • 2005年(平成17年)
    • 2月5日:エレベーター、エスカレーターが使用開始。京都・大阪方面下りホームの上屋を延長。
    • 3月31日:京阪石山駅が当駅に隣接する位置に移転。
  • 2007年(平成19年)3月18日:貨物列車の設定が廃止される。駅自動放送を更新。
  • 2015年(平成27年)3月12日:入線警告音の見直しに伴い、接近メロディ導入。
  • 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。
  • 2024年(令和6年)11月30日:みどりの窓口の営業を終了。

東海道線石山駅急行列車脱線転覆事故

1930年(昭和5年)4月25日 、東京発下関行き急行第5列車(14両編成、牽引機C53 30(国鉄C53形蒸気機関車)、乗客約650名)が石山駅に差し掛かり下り本線から中線へのポイントを通過時に脱線転覆し、13名が重軽傷を負った。
石山駅はカーブになっており、普段は通らない中線への渡り線も急角度で、そこに遅れを取り戻すため高速で進入した事が原因とされた。木造客車ならば1926年(大正15年)9月23日の山陽本線特急列車脱線事故のように粉砕していた所だが、半鋼製客車だったため被害は少なく済んだ。機関士は100円の罰金刑を受けた。この事故で東京のある新聞が「急行列車脱線転覆、死傷者多数」の号外を出したが、結局誤報となってしまい、物笑いになってしまった。
この事故を受けて、山陽本線河内駅構内の配線と速度制限の調査が行われ、誤ったポイント付け替え工事がされた事が、9ヶ月後の山陽線急行列車脱線事故の原因となったという。