膳所(ぜぜ) |
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所在地 |
大津市馬場二丁目11-8 |
駅番号 |
JR-A28 |
所属事業者 |
西日本旅客鉄道(JR西日本)
日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 |
■東海道本線(琵琶湖線) |
キロ程 |
501.9km(東京起点) |
駅構造 |
地上駅 |
ホーム |
2面4線 |
乗降人員 |
24,120人/日(2023年) |
開業年月日 |
1880年(明治13年)7月15日 |
乗換 |
京阪膳所駅(京阪石山坂本線) |
駅種別 |
業務委託駅 みどりの券売機プラス設置駅 |
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膳所駅 |
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膳所駅(ぜぜえき)は、滋賀県大津市馬場二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅である。駅番号はJR-A28。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれている。
現在の膳所駅の区間の東海道本線が開通したのは1889年(明治22年)の東海道本線全通時であるが、当時は馬場駅(現在の膳所駅)から草津駅の間に停車場(駅)はなかった。
1900年(明治33年)7月、栗太郡膳所村(当時)は逓信大臣に対し、この馬場駅 - 草津駅間の停車場として南大萱(現在の膳所駅とほぼ同位置)への停車場設置を請願した。
しかしこの停車場設置の請願は採用されず、馬場駅 - 神戸駅間の複線化が完成した翌年の1903年(明治36年)に石山駅が先に開業することとなった。結局膳所駅設置へと話が進むのは、それから半世紀近く後のこととなる。
膳所駅設置へ向かうきっかけになったのは、東海道新幹線の建設であった。
東海道新幹線は膳所町(当時)を通過するルートとなっており、1960年(昭和35年)に地元に対して立ち入り測量の了解を求めた。
これに対して地元は、当時の平均国鉄駅間距離が4 kmに対し石山駅 - 草津駅間が7.7 kmであることなどから、測量協力の代償として膳所駅開設を強く主張した。
この請願に加え、当時の東海道本線では輸送量の逼迫などから1966年(昭和41年)から膳所川橋梁工事を始めとした京都駅 - 草津駅間の複々線化工事が行われていたことから、この工事と関連して行う形で膳所駅が新設された。
この膳所駅は請願駅のため、工事費1億1,800万円は地元の膳所町(1967年の合併により大津市)が引き受けることとなり、企業からの寄付や滋賀県の補助・大津市の市債によって賄われた。
また、駅新設に伴い、大津市による膳所駅前の土地区画整理事業が膳所駅が開業した1969年(昭和44年)から1977年(昭和52年)にかけて実施された。
膳所駅と駅前広場の敷地は萱野神社の境内地の一部であった。境内地は東海道本線の設置で二分され、さらに駅設置により鎮守の森は駅前広場となり消滅した。
駅構造
方向別複々線区間内にあり、現在は12両編成対応の島式ホームが上り・下りの各内側線・外側線間にそれぞれ1面の合計2面4線と、上下待避線の6線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。
隣の大津駅までの距離は1.7 kmと琵琶湖線では最短である。
かつては機関区があったため、今でも構内は広い。
株式会社JR西日本交通サービスによる業務委託駅(大津駅の被管理駅)であり、かつICOCA利用エリア内に含まれている。
のりば
番線 |
路線 |
方向 |
線路 |
行先 |
備考 |
1 |
■ 琵琶湖線 |
上り |
外側線 |
彦根・米原方面 |
平常時は草津線直通(貴生川方面)のみ |
2 |
内側線 |
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3 |
下り |
京都・大阪方面 |
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4 |
外側線 |
一部列車 |
- 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で記載している。
運転取り扱い上の呼称
- 1番線(ホームなし、下り外側待避線)
- 2番線(1番のりば、下り外側線本線)
- 3番線(2番のりば、下り内側線)
- 4番線(3番のりば、上り内側線)
- 5番線(4番のりば、上り外側線本線)
- 6番線(ホームなし、上り外側待避線)
付記事項
- 普通列車のみ停車し、基本的に2番のりばと3番のりばを使用している。なお、草津線直通列車は下りの一部を除いて外側線を走るため、1番・4番のりばを使用する。
- 駅東側で下り内側→外側、上り外側→内側への転線はできるが、上下線間を転線することはできない。
- 待避線を有するため、場内信号機・出発信号機を持つ。
- 内側線・外側線ともに通過列車が存在するが、毎年8月のびわ湖大花火大会開催日のみ新快速の一部が臨時停車する。
ダイヤ
日中時間帯は普通列車(大阪方面行きは高槻駅から快速)が1時間に4本停車する。朝夕のラッシュ時は草津線へ直通する普通も運行されるため、本数がやや多くなる(夕方はラッシュ前から草津線に直通する列車の設定がある)。
貨物の取り扱い
2005年まで専用線発着の車扱貨物を取り扱っており、貨物列車の設定があった。
現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っており、貨物列車の発着は無い。
かつては6番線の外側に並走し、駅西側にある太平洋セメント大津サービスステーションの貨車用セメント荷役設備へ続く専用線があった。そのため、2005年2月28日まで東藤原駅 - 当駅間でセメント輸送貨物列車が運行されていた。
歴史
1880年(明治13年)に京都駅 - 大津駅(初代。後の浜大津駅)間全通とともに馬場駅(ばばえき)として開業した。
滋賀県内では最古の駅である。全国で19番目に開業した。
京都駅 - 馬場駅間は両側とも25‰の急勾配が連続する区間であり、補助機関車解結のため付近に大津機関区を設置。
東海道線全通時に急行列車が運転された際には牽引定数の関係上、馬場で食堂車を切り離す作業も行われていた。
駅開業時は琵琶湖東岸(湖東線)が未完成で、大津駅と長浜駅との間は琵琶湖の海上交通(太湖汽船)に依っていた。
京都方面からの列車は、当駅でスイッチバックをし、湖畔の初代大津駅へと下っていった。
馬場駅は日本最古のスイッチバック駅であり、当初は逢坂山の勾配を克服するためのものであったが、1889年(明治22年)に湖東線が完成した結果、大津市街を避けて建設されたことになり単純折り返し型であると見なされそう呼ばれることは少なく、日本最古のスイッチバック駅は松井田駅であるとされることが多い。
東海道線全通後は本線の貨物支線として残された(後に旅客営業再開、大津線と命名)。大津線は1913年に京阪石山坂本線の前身となる大津電車軌道が開業した際に旅客営業をやめ、東海道本線に属する貨物支線(浜大津線)となった。
同年に初代大津駅が浜大津駅に、当駅が大津駅(2代)に改称されたが、現在の大津駅(3代)が開業した際に馬場駅に戻され、貨物駅となった。
その後、1934年に旅客営業を再開する際に膳所駅に改められ、現在に至る。
当駅の立地は旧膳所地区ではないが、前年4月に膳所町が大津市と合併した際の合併条件に従い、膳所の地名を残すために改称した。
浜大津線は京阪石山坂本線と共用しており、駅の下り方北側で現在の京阪石山坂本線に線路が繋がっていた。ただし、大津電気軌道と国鉄で軌間が異なるため三線軌条(湖側が三線、山側は通常の標準軌)となっていた。この連絡線を使用し、近江今津からの江若鉄道も乗り入れ、旅客営業していた(江若鉄道末期で2本/日)。そのため、江若鉄道車両が発着する小ホームもあったが、現存しない。浜大津線は1969年(昭和44年)に廃止された。京阪膳所駅の西側に当時の線路跡である坂が残っており、当時をしのばせている。 逢坂山トンネル越えの急勾配は線路変更後も輸送上のネックとなり、貨物列車には梅小路(京都駅西側)より、膳所駅まで補助機関車が付き運転されていた。さらに太平洋戦争中には、輸送力アップのため、京都 - 当駅間の上り線のみを2線とする、3線化工事も行われている。1970年(昭和45年)には草津駅 - 京都駅間の複々線化工事が完成し、その際ホームを1面増設している。
1930年代に名古屋急行電鉄が計画された際、当駅付近に馬場駅が設置されることになっていた。
年表
- 1880年(明治13年)7月15日:官設鉄道の大津(初代、後の浜大津駅)- 当駅 - 大谷間延伸時に馬場駅(初代)として開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
- 1889年(明治22年)7月1日:関ケ原 - 当駅間が開業し、新橋 - 神戸間が全通。大津 - 当駅間は支線となり、旅客営業を廃止して貨物支線となる。
- 1895年(明治28年)4月1日:線路名称制定。東海道線の所属となる。
- 1898年(明治31年)8月1日:当駅 - 大津間の旅客営業再開。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称改定。当駅を含む新橋 - 神戸間が東海道本線、当駅 - 大津間が大津線となる。
- 1913年(大正2年)
- 3月1日:大津線の旅客営業が廃止され東海道本線に編入、貨物支線となる。
- 6月1日:大津駅(2代目)に改称。同時に大津駅(初代)は浜大津駅に改称されている。
- 1921年(大正10年)8月1日:鉄道省東海道本線・奈良線ルート変更により次のように変更。
- 東海道本線当駅 - 稲荷間廃止。
- 大津駅(2代目)を馬場駅(ばばえき、2代目)に改称。旅客営業を廃止し貨物駅となる。
- 馬場 - 京都間の新線上に大津駅(3代目、現駅)を開業。旅客・手荷物・小荷物に限り取り扱う。
- 1934年(昭和9年)9月15日:膳所駅に改称して旅客営業再開。
- 1947年(昭和22年)1月25日:当駅 - 浜大津間の貨物支線の設備を共用する形で、江若鉄道が当駅に乗り入れ開始。
- 1965年(昭和40年)7月10日:江若鉄道の乗り入れ廃止。
- 1968年(昭和43年)6月27日:同駅構内にて貨物列車同士の衝突事故が発生する。
- 1969年(昭和44年)11月1日:当駅- 浜大津間の貨物支線廃止。
- 1970年(昭和45年)3月9日:草津駅 - 京都駅間の複々線化完成に伴い、ホームを増設し、1面2線を2面4線に拡張。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
- 1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「琵琶湖線」の愛称を使用開始。
- 1998年(平成10年)3月7日:自動改札機を設置し、供用開始。
- 2002年(平成14年)7月29日:JR京都・神戸線運行管理システム導入。
- 2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
- 2005年(平成17年)3月1日:貨物列車の設定が無くなる。
- 2007年(平成19年)3月18日:駅自動放送を更新。
- 2013年(平成25年)3月27日:膳所駅周辺整備事業安全祈願祭が行われる。
- 2015年(平成27年)
- 3月12日:入線警告音の見直しに伴い、接近メロディ導入。
- 10月3日:エレベーター、エスカレーターが使用を開始。
- 2017年(平成29年)
- 3月18日:草津側の階段の工事が完了し使用を開始。これにより、京都側の階段は使用停止。
- 6月24日:橋上駅舎および南北自由通路が使用を開始。南口開設。
- 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。
- 2020年(令和2年)
- 6月26日:みどりの窓口の営業を終了。
- 6月27日:みどりの券売機プラスを導入。
- 12月1日:株式会社JR西日本交通サービスによる業務委託駅となる。
橋上駅舎化
2012年から2018年にかけて駅舎の橋上化と周辺整備が行われている。
新駅舎は鉄骨造り985平方メートルで、膳所城の多聞やぐらをモチーフにしたデザインとなる。
この結果、現在の北側(琵琶湖側)にしかない駅への出入り口が、北側南側(国道1号側)両方に出来る。
モノトーン調の壁面として琵琶湖に映る水城を表現する構想である。
合わせて、貨物待避線の撤去、南北駅前広場の拡張、京阪膳所駅との連絡、バリアフリー工事などが行われ、南北85メートル・幅6メートルの自由通路も設けられる。
2015年10月3日にエレベーターとエスカレーターのみ稼働した。
その後も工事が進められ、2017年6月24日に橋上駅舎が全面的に使用開始となり、同時に南口も開設された。
これにより、旧駅舎はすべて解体された。 |
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