根府川駅(ねぶかわえき)は、神奈川県小田原市根府川にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線の駅である。
駅番号はJT 18。関東の駅百選認定駅。
1896年(明治29年)から1922年(大正11年)までは、人車鉄道・軽便鉄道の豆相人車鉄道(のちの熱海鉄道)も存在していた。
同線の「根府川駅」は、当駅よりも高台の位置に設けられていた。
1923年(大正12年)9月1日に関東大震災により地すべり(土石流ともいわれる)が発生し、当駅に進入中の真鶴行き下り列車(8両編成、乗客約150名)が客車2両を残して駅舎、ホームもろとも海中に没する。列車に乗車していた約110名とホームに居た二十数名の計約130名が死亡した。駅周辺の住民も多数死傷した。駅構内に残ったのは車止め一つだけだった。
駅は翌年再建されたが、沖合の海底には当時のプラットホームが横たわっている。ホーム跡は漁礁のようになり、スキューバダイビングの潜水ポイントにもなっている。なお、ホーム跡にある駅名標は後に付けられたものである。
ホームとともに沈んでいた機関車と客車は1934年(昭和9年)9月23日に地元真鶴町の業者によって海中から引き揚げられた。当時の新聞記事では一部は鉄道省に寄付、一部を地元で鉄屑として処分するつもりとある。直後に鉄道博物館(旧)で牡蠣の殻が大量に付着したバキュームホースと機関車のナンバープレート「977」(960形蒸気機関車)が展示された。現在バキュームホースは所在不明で唯一ナンバープレートのみが残されており、交通博物館から鉄道博物館に引き継がれ展示されている。
この事故で娘を亡くした岡野喜太郎(スルガ銀行創業者)によって1932年(昭和7年)に真鶴駅寄りの海に面した場所に慰霊碑が設置され、1973年(昭和48年)には、改札横に根府川駅職員一同によって『関東大震災殉難碑』が設置された。
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駅名標 |
乗車駅証明書発行機と簡易Suica改札機 |
駅構造
2面3線のホームを有する地上駅。1番線は貨物列車専用のホームだったが1970年頃に撤去されたため、のりばは2番線から4番線となる。3番線は上下線共用の待避線である。
高度差が大きいため(ホームの海抜は45メートル)、ホームはがけの下、駅舎はがけの上にある。ホームから上った跨線橋と同じ高さに木造駅舎がある。エスカレーターやエレベーターは設置されていない。駅舎内には乗車駅証明書発行機、簡易Suica改札機、自動券売機(早朝・深夜は稼働しない)、運行情報を伝えるモニターが設置されている。
JR東日本管内の東海道本線では唯一の無人駅となっている。なお、当駅以西の東海道本線では愛知県の西小坂井駅まで200km以上にわたって無人駅が存在しないことになる。
のりば
番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
備考 |
2 |
■東海道線 |
上り |
小田原・横浜・東京方面 |
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■上野東京ライン |
東京・宇都宮・高崎方面 |
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3 |
■東海道線 |
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上下待避線 |
4 |
下り |
熱海・伊東・沼津方面 |
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歴史
- 1922年(大正11年)12月21日:国有鉄道熱海線 国府津駅 - 真鶴駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物取扱を開始。
- 1923年(大正12年)9月1日 : 当駅付近で根府川駅列車転落事故が発生。
- 1934年(昭和9年)12月1日:熱海線所属から東海道本線所属に変更。
- 1970年(昭和45年)5月20日:貨物取扱を廃止。
- 1972年(昭和47年)3月15日:荷物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
- 1999年(平成11年):関東の駅百選に選定される。
- 2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」供用開始。
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