のと鉄道七尾線(廃止)
のと鉄道七尾線(廃止)の概要
終点の輪島駅は、道の駅輪島「ふらっと訪夢」となった
終点の輪島駅は、道の駅輪島「ふらっと訪夢」となった
のと鉄道七尾線は、1991年の七尾線津幡駅 - 和倉温泉駅間の電化に際して、西日本旅客鉄道(JR西日本)が石川県に和倉温泉以北の路線を引き受けることを要求したために、既に能登線の運営を行っていたのと鉄道がその営業を引き継いだものです。
転換にあたり、この路線が転換時に交付金等の支援が受けられる特定地方交通線ではなかったため、JR西日本から路線を買い上げるよりも借用が妥当と判断されたため、線路等の施設はJR西日本がそのまま所有し、七尾駅 - 和倉温泉駅間 (5.1km) はJR西日本との共用区間となっています。
この時点で七尾駅 - 輪島駅間が移管されていますが、穴水駅-輪島駅間は、輪島線とされていました。
廃止2年前の1998年には能登三井駅の交換設備が廃され、輪島 - 穴水間が1つの閉塞区間となっていました。
2001年(平成13年) 4月1日には、 穴水 - 輪島間 (20.4km)が廃線となっています。
この区間の廃止が取り沙汰されるようになったのは、七尾線一部区間の引き受け後、のと鉄道が多額の赤字を計上しており、その大半を七尾線の赤字が占めていたことが理由となっています。
この区間の赤字の要因の一つは乗客減であり、背景としてはモータリゼーションの加速が挙げられるでしょう。
特に七尾線の穴水以北は簡易線の規格で建設されたために線形が悪く、鉄道がスピードアップできない一方、鉄道に沿って能登有料道路を始めとする道路網が開通し、自動車は圧倒的に有利な状況にあったと言えます。
かつて穴水駅からは、輪島線、能登線と2本の線路が・・・
かつて穴水駅からは、輪島線、能登線と2本の線路が・・・
金沢-輪島間には当時からJR七尾線・のと鉄道七尾線に平行して高速バス「奥能登特急」(現・輪島特急)が運転されていましたが、このバスの所要が2時間で運賃が2000円であるのに対して、JR・のと鉄道経由では所要2時間50分で運賃2400円、急行「能登路」を利用しても所要2時間20分を要して、料金の点でも所要時間の点でも鉄道が不利だったのです。また、七尾線の運行に関わる支出には、前述の経緯により、JR西日本に対する約1億3400万円にも上る線路・設備使用料が含まれており、これが経営を圧迫したと言えます。
このように厳しい経営が予想される中、能登空港開港に伴う交通再編が想定されたこともあって2000年3月に廃線が決定、2001年4月1日に廃止されています。これは国鉄民営化後に第三セクターに移管された路線が廃止された初めての事例となり、各方面に与えた衝撃は重大なものだったと言えます。当区間廃止後には、能登中央バスが代替バスの運転を開始し、運営主体が北鉄奥能登バスに代わっています。
もう一つ、乗客減少の原因として、経営コンサルタントからの経営診断と助言で列車本数を減らしていったことも一因だと思います。そのような主体性のない経営がうまくいくはずがないと思うのは私だけではないはずです。案の定、列車本数が減ると不便になり、ますます客が減っていったわけです。
ただ、のと鉄道は自前の路線を持たない第二種鉄道事業者であったために大胆な設備投資は難しいと思われるので、気の毒な点もあったと思います。しかしJR西日本から鉄道施設を譲渡させたうえで設備投資を図るとか、局面を打開できなかったのかと思います。
いずれにしても七尾線が一部廃止になったことで、接続線を失った能登線までが廃止が危惧される事態となっていきました。
そして2005年4月1日には能登線全線(穴水-蛸島間61.0km)が廃止されて、現在に至っています。
のと鉄道七尾線廃止路線(穴水-輪島) 駅一覧
駅名 駅間
キロ
営業
キロ
穴水から
営業キロ
接続路線 ホーム みどり
の窓口
駅員
配置
列車
交換
種別 所在地
穴水駅 33.1 0.0 能登線(2005年4月1日廃止) 2面4線 非電化 鳳珠郡穴水町
能登三井駅 11.0 44.1 11.0 1面1線 輪島市
能登市ノ瀬駅 5.0 49.1 16.0 1面1線
輪島駅 4.4 53.5 20.4 1面1線
のと鉄道七尾線(穴水-輪島) 廃線跡レポート
今日は、穴水駅から輪島駅までの廃線跡を辿ってみましょう。
穴水駅からは能登線も分岐していたのですが、これも既に廃線となっていて、穴水駅は終点となっています。
七尾線(穴水-輪島)の廃線跡は既にレールや橋梁なども撤去されていて、ほとんど廃線跡がわからなくなっています。
能登三井駅の駅舎は健在です
能登三井駅の駅舎は健在です
そこで県道1号線を北上し、最初の駅である能登三井駅を目指します。
能登三井駅は、実は駅舎が現存していて見どころは十分です。この駅舎にはJR時代から喫茶店「サロン社の駅」が入居していて、廃線後も営業していましたが、残念ながら2007年3月20日に閉店しています。
現在では駅舎はバス待合所として使用されていました。駅舎はきれいに維持されていて、今でも生きていると感じました。
ここから、さらに県道1号線を北上します。
次の駅は能登市ノ瀬駅です。
この駅も廃線当時は駅舎があったのですが、現在では駅舎が撤去されて跡形もなくなっていました。しかし、路盤跡は残っていたのと、「線路に入ってはいけません」との看板がわずかにここに鉄道が存在していたことを示していました。
さらにここから輪島駅へ向かいます。輪島駅は言うまでもなく七尾線の終点でしたが、ここから鉄道がなくなり、輪島駅は道の駅輪島「ふらっと訪夢」として整備されていて、バスターミナルとなっています。つまり現在でも交通の拠点として利用されているわけです。ただし、駅前のホテルが廃業していて、周囲の様子はなんだか寂れている様子は否めないところでした。ただ、この道の駅輪島は、それなりに活気があり人の出入りも多く、バスターミナルとして機能していると感じました。
道の駅輪島「ふらっと訪夢」
道の駅輪島「ふらっと訪夢」
これで廃線跡レポートは終わりますが、輪島市は奥能登地方の中心都市であり、市街地も珠洲市と比べてもはるかに規模が大きく、都会なのですが、鉄道がなくなったのは、能登線よりも輪島線の方が先だったわけです。
ではどうしてそうなったのか。端的に言えばモータリゼーションの加速ということになります。もともと七尾線の穴水以北は簡易線の規格で建設されていて線形が悪く、鉄道がスピードアップできない一方、鉄道に沿って能登有料道路を始めとする道路網が開通したため、バスが圧倒的に有利な状況にあったといえます。例えば、金沢 - 輪島間には当時からJR七尾線・のと鉄道七尾線に平行して高速バス「奥能登特急」(現・輪島特急)が運転されていましたが、このバスの所要が2時間で運賃が2000円であるのに対して、JR・のと鉄道経由では所要2時間50分で運賃2400円、急行「能登路」を利用しても所要2時間20分を要しました。つまりバスに対して、鉄道は時間的にも料金的にも太刀打ちできないことになります。
またもう一つの要因としては、のと鉄道が穴水-輪島間の不採算路線をJR西日本に押し付けられた上に施設の使用料を取られていたことにあると思います。JR西日本に対する線路・設備使用料は約1億3400万円とされています。ですからその路線を引き継ぐのであれば、施設も完全譲渡するのが条件とできなかったのか、あるいは後からでも施設を譲渡させるとか、使用料を免除するとか、対策を講じなかったのかと思われます。
能登三井駅の駅名標 能登三井駅の待合室はきれいです
能登三井駅の駅名標 能登三井駅の待合室はきれいです
待合室には本も並んでいます 能登三井駅の駅舎を裏から見ました
待合室には本も並んでいます 能登三井駅の駅舎を裏から見ました
道の駅「輪島「ふらっと訪夢」の正面 道の駅「輪島「ふらっと訪夢」のコンコース
道の駅「輪島「ふらっと訪夢」の正面 道の駅「輪島「ふらっと訪夢」のコンコース
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