のと鉄道能登線(2005年4月1日廃止)
のと鉄道能登線の概要
のと鉄道能登線の始発駅だった穴水駅構内
のと鉄道能登線の始発駅だった穴水駅構内
のと鉄道能登線は、かつて穴水駅(石川県鳳珠郡穴水町)と蛸島駅(石川県珠洲市)を結んでいた鉄道路線です。
2005年(平成17年)4月1日に穴水-蛸島間 (61.0km)が全線廃止となっています。
1959年(昭和34年)6月15日に穴水-鵜川間 (22.9km)が開業したのが最初で、その後、1964年(昭和39年)9月21日に全線開通しています。
開通から一貫して日本国有鉄道の路線でしたが、国鉄末期の国鉄再建法により、1985年には第3次特定地方交通線候補に選定されてしまいます。能登線存続を希望した石川県は能登線の早期の第3次指定を国に求めた結果、1986年(昭和61年)5月27日に第3次特定地方交通線に先行承認される異例の事態となっています。
1987年(昭和62年)4月1日には国鉄分割民営化によりとりあえず西日本旅客鉄道が能登線を継承しています。
石川県は、1987年(昭和62年)4月30日には第三セクター会社のと鉄道を設立して能登線存続に備えています。
1988年(昭和63年)3月25日にはJR西日本能登線としては廃止となり、同時にのと鉄道能登線として開業し、その運営を引継いでいます。
第三セクター転換後、のと鉄道能登線は当初は収支がほぼ均衡を保ち、転換交付金を積み立てた基金で営業損失を補填した結果、開業後3年間黒字を計上しています。
しかしのと鉄道が七尾線の経営を引き受けた頃からは、のと鉄道の赤字額が目に見えて増大し始め、同時に能登線の乗客も減少して経営が苦しくなっていきました。しかものと鉄道の赤字の多くは、新たに引き継いだ七尾線からの赤字でした。
甲駅駅舎
甲駅駅舎
2000年(平成12年)3月には、七尾線穴水-輪島間20.4kmの廃線が決定され、2001年(平成13年)4月1日付けで廃止されています。穴水-輪島間の廃止は、モータリゼーションの影響もありますが、七尾線は特定地方交通線の指定を受けたわけではなく、転換交付金が受けられないことからJR西日本がそのまま線路を保有していたため、JR西日本に対する約1億3400万円にも上る線路・設備使用料の支払いがあり、これが経営を圧迫したことも大きな要因でしょう。要するにのと鉄道はどさくさに紛れてたいへんなお荷物を押しつけられたと見ることもできます。
しかし穴水-輪島間が廃止になったことで、接続線を失った能登線までが経営が立ちゆかなくなり、2004年(平成16年)3月23日ののと鉄道の取締役会でついに能登線の廃止が決議され、同年3月31日には、廃止届けが提出されています。
2005年(平成17年)4月1日付で全線廃止に至っています。
廃止後は能登中央バス・奥能登観光開発の2社(現在は北鉄奥能登バス)による路線バスに転換されていますが、能登線は61kmと長い路線を持っていたので乗客の平均乗車距離も13.9kmと長いことから、通学客への影響は大きいものがあります。珠洲市内から列車で石川県立七尾高等学校に通っていた学生は下宿を余儀なくされ、珠洲市内の高校へ向かう学生も混雑の激しいバスでの通学を強いられているとのことです。
だいたいバス路線では鉄道路線の代替にはならないというのは福井県の京福電鉄での一件から見ても実証済みなのですが、石川県にはその理解がいまいちだったのでしょうか。

のと鉄道能登線 路線データ
管轄  のと鉄道(第1種鉄道事業者)
路線距離  61.0km
軌間  1,067mm
駅数  30駅(起終点駅含む)
複線区間  なし(全線単線)
電化区間  なし(全線非電化)
閉塞方式  特殊自動閉塞式(穴水-珠洲間)
 スタフ閉塞式(珠洲-蛸島間)
開業日  1959年6月15日
全線開通  1964年9月21日
廃止日  2005年4月1日
使用車両  NT100形気動車
 NT800形気動車
乗入車両  キハ58系気動車
NT800形気動車
NT800形気動車

のと鉄道能登線 駅一覧
駅名 駅間
キロ
営業
キロ
接続路線 ホーム みどり
の窓口
駅員
配置
列車
交換
所在地
穴水駅 - 0.0 のと鉄道七尾線 2面4線 鳳珠郡
穴水町
中居駅 5.3 5.3   1面1線    
比良駅 2.3 7.6   2面2線    
鹿波駅 2.9 10.5   1面1線    
甲駅 3.8 14.3   1面2線    
沖波駅 2.7 17.0   1面1線    
前波駅 1.1 18.1   1面1線    
古君駅 1.8 19.9   1面1線    
鵜川駅 3.0 22.9   1面2線   鳳珠郡
能登町
七見駅 1.2 24.1   1面1線    
矢波駅 1.5 25.6   1面1線    
波並駅 2.2 27.8   1面1線    
藤波駅 2.2 30.0   1面1線    
宇出津駅 2.7 32.7   1面2線  
羽根駅 2.6 35.3   1面1線    
小浦駅 1.7 37.0   1面1線    
縄文真脇駅 1.4 38.4   1面1線    
九十九湾小木駅 2.0 40.4   1面2線  
白丸駅 2.1 42.5   1面1線    
九里川尻駅 1.9 44.4   1面1線    
松波駅 2.0 46.4   1面2線  
恋路駅 1.8 48.2   1面1線    
鵜島駅 0.8 49.0   1面1線     珠洲市
南黒丸駅 1.1 50.1   1面1線    
鵜飼駅 1.6 51.7   2面2線  
上戸駅 2.7 54.4   1面1線    
飯田駅 1.7 56.1   1面1線    
珠洲駅 1.3 57.4   1面2線  
正院駅 1.6 59.0   1面1線    
蛸島駅 2.0 61.0   1面1線    
 駅員配置 注 ◎:直営駅 ○:日中のみ駅員配置 無印:無人駅
 列車交換 注 ◇∧:列車交換可能 |:列車交換不可
のと鉄道能登線 廃線跡レポート
今日は能登線の廃線跡を辿り、その様子をレポートしてみようと思います。
能登線は、廃線後にレールや跨線橋は撤去されたものの、駅舎やホームはほとんど現存しているか、新しい建物が建てられて再開発されていて、廃線跡を辿るのは比較的容易ですし、見どころも多く、北陸地方の廃線跡としては最大の遺構が残っていると言えます。
中居駅待合所とホーム
中居駅待合所とホーム
穴水駅からの路盤は現在でも残っていて、県道1号線の白山町付近で道路を跨ぐ跨線橋跡がありました。そこから国道249号線に入りしばらくすると中居の集落があります。ここに中居駅がありました。駅は集落のはずれにありますが、ホームと待合所は完全に残っていました。集落内にも跨線橋跡があり、遺構が十分残っています。
中居からさらに進むと比良の集落があり、ここには比良駅があります。ここも駅舎が残っていますが、草ボウボウ状態です。2面2線の相対式ホームで列車交換が可能です。
また駅の近くには穴水町立向洋中学校がありましたが、これも能登線が廃線後に廃校になっています。
比良郵便局から県道34号線に入り旭ヶ丘方面から鹿波駅へ向かいます。
この鹿波駅は周囲に全く人家がなく秘境駅と言えるシチュエーションですが、なぜこんなところに駅を設置したのでしょうか。駅舎もすでに撤去されていて、駅跡とわかるものは何もなかったりします。ただし、すぐ近くに跨線橋跡がありました。ここからさらに甲駅を目指します。
甲駅は、駅舎もホームもそのまま残っていてしかも結構立派な駅舎でした。1面2線の島式ホームで列車交換が可能な駅です。島式ホームに待合所と上屋があり、当時のまま残っているといっていい状態です。
さらに沖波駅へ向かいます。この沖波駅も待合所もホームも現存しているのですが、ここはジャングルのようになっていて、荒れていました。当初は立戸ノ浜仮乗降場として海水浴シーズンのみ旅客営業を行っていましたが、のと鉄道に移管した時に常設駅に昇格しています。
次の前波駅は待合所もトイレもあり、物置もあって地元の営農組合が使用しているようです。まあ、こういう使い方もあるのですね。もちろん草は刈られています。
鵜川駅駅舎
鵜川駅駅舎
次の古君駅ですが、駅舎もホームも残ってはいるのですが、ここもジャングルと化していて、立ち入るのは危険です。そもそもこの駅の周囲には人家が少なく、古君集落の中心からはかなり遠くて、なぜこんなところに駅を設置したのかと首を傾げてしまうようなシチュエーションです。
次の鵜川駅は大きな駅で駅舎も島式ホームも待合所もあり、駅前にはなんと公衆電話もあります。ここはバス停にもなっていて近くには小学校もあります。ここからは能登町に入ります。
ここから再び国道249号線を走ると道路に並行して路盤があり、七見駅がありました。ここはホームは撤去されているのですが、バス停となっている待合所が残っていました。
この七見駅は近隣住民の請願により設置された駅で、2018年4月現在に至るまで、のと鉄道が新規に設置した唯一の駅です。ただし、開業後10年で廃止となってしまいました。
さらに国道249号線を走ると道路沿いに矢波駅があります。ここはホームと待合所は撤去されていましたが、駅の存在はわかるという状態です。
さらに進むと波並駅があります。ここは待合所もホームも残っていて整備されていました。さらに駅名板までありますが、しかも所在地が市町村合併前の三波村となっているのがしゃれています。
次の藤波駅の間には間島橋梁があったのですが、これは既に撤去されています。
藤波駅は、藤波の集落のはずれ、しかも行き止まりの地点にありました。待合所もホームも健在でした。
宇出津駅跡に「コンセールのと」
宇出津駅跡に「コンセールのと」
次の宇出津駅は、急行停車駅で周辺の中心駅的な存在で、廃線後もバスターミナルとして利用されていましたが、再開発により駅舎が取り壊され、公民館ならびに図書館を含む複合施設である「コンセールのと」として蘇りました。もちろんバスターミナルとしての機能もあります。ここで県道35号線に分岐し海岸沿いを走ります。
次の羽根駅は、本来は駅設置の予定がなかったのですが、地元住民の運動で駅が設置されたとのことです。そのせいかホームがカーブしていてここに列車が停車すると少し傾いてしまいます。ここもホームも待合所も現在で、トンネルもすくそばにあります。
次の小浦駅は、集落から見るとかなり高い地点にあり、そこへたどり着くのが大変でした。待合所もホームも健在で、整備されているという印象でした。
次の縄文真脇駅は真脇遺跡を訪れるには絶好の立地といえるのですが、廃線になってしまっては・・・。駅舎も待合所も現存していてホームも残っていますが、「ふるさとの未来をつなごうのと鉄道」の看板がむなしさを醸し出しています。
さらに九十九湾小木駅が県道のすぐそばにあります。ここの駅舎は大変しゃれた建物で第2回中部の駅百選に選ばれています。待合所もホームも健在で整備されていました。
次の白丸駅は、どうしてここに駅があるのかと首を傾げてしまう秘境駅です。
しかも道路に面しているのでもなく、道路から急坂で下がったところに駅があり、駐車スペースらしきものもないのですが、実は以前は自転車置き場があったのに、この辺りを山火事が襲って自転車置き場が焼失してしまったのです。
九十九湾小木駅駅舎
九十九湾小木駅駅舎
周辺にも人家がないのは鹿波駅と同じですが、ここは鹿波駅以上に秘境という印象です。
次の九里川尻駅は待合所とホーム、自転車置き場もありましたが、いずれも荒廃していて打ち捨てられていました。
次の松波駅は、急行停車駅で駅前のスペースも広くバス停にもなっていて、駅舎も奥能登トリビア蔵「松波城址情報館」として利用されています。
近くには松波城跡があり、ここも合わせて訪れると良いでしょう。次の恋路駅は、言うまでもなく恋路海岸にある駅で、ロマンティックな伝説もあります。現在では奥能登トロッコ鉄道(愛称「のトロ」)としてこの駅から北側に270mの区間で軌道自転車を走らせることができるようになっています。これは宗玄酒造が運営していて、切符も販売しています。
さらに隣の鵜島駅に移動するとここは既に国道249号バイパスへの新道建設に伴い駅跡が消失しています。まあ、仕方ないので次に移動します。
次の南黒丸駅は、待合室とホームが現存していますが線路跡は畑になっていました。地元の人がここで耕作していましたが、能登線が廃線になったことで金沢へ行こうとしても年寄りには難しいということでした。地元の人たちの能登線廃線に対する静かな怒りが感じられて、少し心苦しいものがありました。実は他にも地元の廃線に対しての怒りが感じられる発言や事象があったりします。
恋路駅待合所に奥能登トロッコ鉄道が
恋路駅待合所に奥能登トロッコ鉄道が
次の鵜飼駅は駅舎が大変ユニークな建物で第3回中部の駅百選に選ばれているもので、現在でもバス停の待合所やベーカリーショップとして、また町内にある小中学校ならびに特別支援学校のギャラリーとして利用されています。またホームも2線2面で待合所にはベンチまであって、ほとんど当時のままで残っています。
次の上戸駅は小さい駅で待合室とホームがあるだけでしたが、荒れている様子はなくおそらくは時々草刈りしているのでしょう。次の飯田駅は、駅舎もあり、「小さい忘れもの美術館」となっていました。ホームにはなんと貨車がありましたが、実はここは珠洲市の中心街に近いのに、けっこうな秘境駅のようなロケーションです。そして、能登線内では最大の駅であった珠洲駅に到着しました。ここも輪島駅と同様に再開発により「道の駅すずなり」として整備されています。もちろんバスターミナルとタクシー乗り場が併設されていて、交通の拠点になっています。しかもホームと線路や信号機、駅名標などは残っていて、当時を忍ばせることができます。
さらに海岸沿いを先に進みます。ここは市街地が続きますが、市街地の裏の方に線路跡が残っています。正院駅は駅舎はありますが、窓や出入り口は板でふさがれていました。ホームも待合所も残っていましたし、時々草刈りもしているのだと思います。
次は終点の蛸島駅です。蛸島駅は、現在も駅舎、ホーム、待合所とも健在です。しかもレールも残っていて、列車を走らせることも可
のトロ号往復乗車券
のトロ号往復乗車券
能となっています。以前は、NT100形気動車が、駅から200mほど西側の築堤上に設置された「新蛸島駅」に保存され、ゴールデンウィークや夏休みなどを中心に運行されていたとのことですが、現在は放置されています。
これで能登線廃線跡の探索は終了しますが、61kmもの長大な路線が廃線となった影響は計り知れないものがあるでしょう。さらに追い打ちをかけるようですが、高等学校の統廃合もあって、高校へ通学すること自体が困難になる場合もあるようで、金沢市周辺に下宿を余儀なくされるケースもあると聞いています。
もともと能登線を第三セクター化した後は、のと鉄道の経営も安定していたのに、七尾線(七尾-輪島間)まで第三セクター化したことで、経営状況が悪化しているのですから、JR西日本のやり方もまずかったと言えますが、石川県の無為無策も責められるべきだと感じます。特に経営方針を経営コンサルタントに任せたことが命取りとなっていると言わざるを得ず、穴水-輪島間が廃線になってしまうと、接続線を失った能登線までが経営が立ち行かなくなってしまうことになり、能登線まで廃線に追い込まれてしまっています。
これは、ある意味教訓ではないでしょうか。
自分たちの力で問題を解決しようとせず、他人の力を頼りにしたらろくなことがないということでしょう。
鵜島駅駅舎 飯田駅ホームに貨車がありました
鵜島駅駅舎 飯田駅ホームに貨車がありました
珠洲駅は「道の駅すずなり」となった 終点の蛸島駅駅舎
珠洲駅は「道の駅すずなり」となった 終点の蛸島駅駅舎
正院駅駅舎 終点の蛸島駅駅舎
正院駅駅舎 松波駅駅舎は奥能登トリビア蔵「松波城址情報館」
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のと鉄道能登線 路線マップ
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