| 新発田(しばた) |
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| 所在地 |
新潟県新発田市諏訪町一丁目1-5 |
| 所属事業者 |
東日本旅客鉄道(JR東日本)
日本貨物鉄道(JR貨物) |
| 駅構造 |
地上駅 |
| ホーム |
1面2線 |
| 乗車人員 |
3,294人/日(2024年) |
| 開業年月日 |
1912年(大正元年)9月2日 |
| 乗入路線 2 路線 |
| 所属路線 |
■羽越本線 |
| キロ程 |
26.0km(新津起点) |
| 所属路線 |
■白新線 |
| キロ程 |
27.3km(新潟起点) |
| 駅種別 |
直営駅 みどりの窓口 |
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| 新発田駅 |
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| ホーム |
駅名標 |
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| 自動改札機 |
GV-E400系電気式気動車 |
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| 自動券売機 |
E653系1000番台 |
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新発田駅(しばたえき)は、新潟県新発田市諏訪町(すわちょう)一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。
羽越本線を所属線として、当駅を終点とする白新線を加えた2路線が乗り入れる。
1925年(大正14年)から1984年(昭和59年)まで、赤谷線も乗り入れていた。
新発田市の中心駅であり、特急「いなほ」(新潟駅 - 酒田駅・秋田駅)、臨時快速列車(観光列車)「海里」(新潟駅 - 酒田駅)が停車する。
歴史
- 1912年(大正元年)9月2日:信越線 新津駅 - 当駅間開通と同時に開業。一般駅。
- 1914年(大正3年)6月1日:村上線として中条駅まで延伸開業。新津 - 当駅間も村上線に編入され、村上線の駅となる。
- 1924年(大正13年)7月31日:村上 - 鼠ヶ関間の開業に伴い村上線が羽越線に編入され全通、羽越線の駅となる。
- 1925年(大正14年)11月20日:赤谷線が開業。羽越本線の駅となる。
- 1952年(昭和27年)12月23日:白新線が葛塚駅(現在の豊栄駅)まで開業。
- 1964年(昭和39年)6月9日:昭和天皇、香淳皇后が第19回国民体育大会開催に合わせて県内を行幸啓。新発田駅発、長岡駅行きのお召し列車が運転された。
- 1972年(昭和47年)12月18日:現駅舎に改築し、旅行センターを開設。
- 1973年(昭和48年)4月:みどりの窓口を開設。
- 1984年(昭和59年)4月1日:赤谷線が廃止。
- 1985年(昭和60年)春ごろ:駅舎外右手に地下自由通路が完成し、駅の東側への直接通行が可能になる。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取り扱いを廃止(ただし、新聞紙のみ取扱い継続)。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本・JR貨物の駅となる。
- 2002年(平成14年)3月ごろ:貨物列車の発着がなくなる。
- 2004年(平成16年)12月16日:自動改札機の供用を開始。
- 2006年(平成18年)1月21日:ICカード「Suica」の利用が可能となる(白新線のみ)。
- 2007年(平成19年):立ち食いそば店が撤退。
- 2008年(平成20年)3月15日:羽越本線新津方面でICカード「Suica」の利用が可能となる。
- 2012年(平成24年):駅舎耐震工事実施(12月ごろ完成)。
- 2014年(平成26年)
- 4月1日:羽越本線村上方面でICカード「Suica」の利用が可能となる。ただし、中条駅・坂町駅・村上駅のいずれかでの乗降のみ。
- 11月21日:外壁を城下町をイメージしたなまこ壁にするなどの駅舎に改装。
- 2015年(平成27年)2月27日:エレベーターの供用を開始。
橋上化計画
後述のように改札口が正面口側にしかなく、駅裏側からは利用しにくい構造となっていたうえ、駅構内はエレベーターが未設置であり、バリアフリー対応が長らく課題となっていた。
こうした状況を受けて2000年代、市では橋上駅舎への改築も含め、駅舎の改修・改良について議論が進められていた。
その結果、橋上駅舎への改築が一旦決まったものの、2010年(平成22年)11月の新発田市長選挙では橋上化計画の中止を掲げた二階堂馨が当選。JR東日本新潟支社に対し計画の撤回を報告するとともに駅構内のバリアフリー化を検討するよう要請した。
これを受けてJR新潟支社は駅構内の地下通路(駅舎および0・1番線側、2・3番線側の2か所)にエレベーターを新設する計画を立案・着工し、2015年(平成27年)2月27日より供用を開始した。
駅構造
単式ホーム1面1線(1番線)とその新潟寄りに設けられた切り欠き式ホーム1線(0番線)、島式ホーム1面2線(2・3番線)を持つ地上駅。両ホームは地下通路で連絡している。
直営駅で、駅舎はみどりの窓口、自動改札機(SuicaなどのICカード対応)、自動券売機、指定席券売機、待合室、デイリーヤマザキJR新発田駅店(Suicaショッピングサービス利用可)などがある。
かつては構内で、キヨスク・新発田三新軒が運営する駅弁売店や立食いそば店が、デイリーヤマザキ部分にはJR東日本系のコンビニ「JC」を経てイートインコーナーを備えた山崎製パン系のパン屋が存在した。
現在は立食いそば店のあったところに新発田市コミュニティバス・新発田市市街地循環バスの共通回数券などを販売している観光案内所とコインロッカーが設置されている。
駅舎は正面口にのみあり、改札口から直接東口へ出ることはできない。
駅の東側へは駅舎外、右手にある地下自由通路を経由する。
かつては駅からレンタサイクルの取り扱い駅であったが、2020年(令和2年)のサービス終了以降は駅前のイクネスしばたMINTO館において、観光情報センターによるレンタサイクルの貸出しが行われている。
のりば
| 番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
備考 |
| 0 |
■白新線 |
上り |
豊栄・新潟方面 |
当駅始発 |
| 1 |
■羽越本線 |
下り |
村上・酒田・秋田・青森方面 |
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| 2・3 |
■羽越本線 |
上り |
新津方面 |
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| ■白新線 |
下り |
豊栄・新潟方面 |
おもに2番線 |
貨物取扱
現在、JR貨物の駅は臨時車扱貨物の取り扱い駅となっており、貨物列車の発着がなくなっている。
かつては、3番線外側にある側線から駅の東にある電気化学工業新発田サービスステーションへ至る専用線が分岐していた。
そのため、当駅には青海駅からセメントが到着していたが、2002年(平成14年)3月ごろに廃止された。
また駅舎北側の線路に沿った場所には、有蓋車用の貨物ホームが1980年代まで置かれていた。
その他、以下の専用線が存在していた。
- 大平洋金属専用線
- 新発田ガス専用線
- 出光興産専用線
駅弁
当駅で駅弁の販売は行っていない。
かつては新発田三新軒が駅弁「えびすし」・「すき焼き弁当」などを製造・販売していたが、1995年(平成7年)に当駅での駅弁販売を取りやめた。
新発田三新軒はその後、駅構内の区画整理のため新潟駅に移転、さらに1999年(平成11年)には系列の三新軒と共同で新津駅東口近くに事務所・調理場を設けた。新発田三新軒としては新潟駅のみで駅弁の販売を行っている。
赤谷線
| 新発田(しばた) |
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| 所属事業者 |
日本国有鉄道 |
| 所属路線 |
赤谷線 |
| キロ程 |
0.0km(新発田起点) |
| 開業年月日 |
1925年(大正15年)11月20日 |
| 廃止年月日 |
1984年(昭和59年)4月1日 |
赤谷線(あかたにせん)は、かつて新潟県新発田市の新発田駅と同市の東赤谷駅を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行を受けて第1次特定地方交通線に指定され、1984年(昭和59年)4月1日に全線が廃止された。
路線名は「あかたに」であるが、赤谷村の村名をはじめ、地域名としては「あかだに」と読まれることも多い。
新発田駅 - 赤谷駅間は、赤谷付近から産出される鉄鉱石の輸送のため、官営製鉄所の専用線として1920年(大正9年)に敷設されたものであるが、第一次世界大戦後の不況のため使用されることなく放置されていたものを、地元の請願を受け、鉄道省が1925年(大正14年)に無償で譲受し、羽越線の支線扱いで赤谷線として開業したものである。
末端の赤谷駅 - 東赤谷駅間は、鉄鉱山の再開発のため1941年(昭和16年)に延長されたもので、東赤谷には鉱山からの積み出し施設が設置された。東赤谷駅は、33 ‰の急勾配を登ったところにあり、国鉄唯一のスイッチバックの終着駅であった。
1973年度(昭和48年度)では営業係数が706、1975年度(昭和50年度)は893、翌1976年度(昭和51年度)には1048と悪化していき、合理化のため赤谷駅を業務委託化し、米倉駅の駅員削減などを実施した。
1981年(昭和56年)には、新発田市外ケ輪小学校の体育館で、労働組合員ら約1000人が集まり、赤谷線の廃線に反対する「住民の足を守る新発田市民会議」を開いた。
「赤谷線の存続を勝ち取る決議案」を採択し、会場から新発田駅までの約2 kmをデモ行進した。
廃止間近には魚沼線と共に記念入場券が発売され、予約は4000組を超えた。
1984年(昭和59年)3月18日にさよなら列車が運行され、約250人が乗車した。同年同月25日の列車は370人から664人が乗車し、1日の総乗客数は過去最高の約2000人を記録した。東赤谷駅は大混雑で、売店では記念品が飛ぶように売れたという。
廃線後、備品はすべて国鉄資材センターに移され、一部は博物館等に寄贈されるか競売に掛けられた。 |