富山県内の廃止路線
富山県内の廃止路線の概要
富山県内にはこれまで多数の鉄道路線が建設されてきましたが、そのうち廃止された路線は実はさほど多くはありません。
国鉄・JR線では、国鉄神岡線が第3セクター化した神岡鉄道神岡線が廃線となっていますが、これは富山県内はほとんど通っていませんし、県内で廃駅となった駅はありません。
猪谷駅神岡線ホーム
猪谷駅神岡線ホーム
国鉄神岡線は、猪谷-奥飛騨温泉口間19.9kmの全線単線非電化のローカル線です。この路線はもともと神岡鉱山から産出される亜鉛鉱石の輸送が目的の鉄道でしたが、経営は思わしくなく、1981年(昭和56年)9月18日には特定地方交通線に指定されて廃線が決定し、1984年(昭和59年)10月1日に国鉄線としては廃線となり、第三セクター鉄道として神岡鉄道が運営を引き継いでいます。その後は、神岡鉱山からの硫酸輸送を主力として運営を続けていましたが、神岡鉱山を運営する神岡鉱業がトラック輸送に切り替えたため、2004年(平成16年)10月15日で硫酸輸送が終了し、同年12月31日限りで貨物営業が休止されることになり、とどめを刺された格好となりました。神岡線は収入の7割以上を貨物輸送が占めていたので、これを失うことは命取りといえ、さらに旧国鉄からの転換交付金も底をつくことから、ついに神岡線は2006年(平成18年)12月1日に全線廃止の憂き目を見ました。
ところが2006年(平成18年)9月に船坂勝美飛騨市長が定例市議会で、神岡鉄道廃止後に鉄路を不定期の観光鉄道として存続させる意向を表明しています。同年11月29日には、三井金属鉱業との間で存続に向けて15億円の寄付と軌道の無償譲渡を受けることで大筋合意しています。
また、2007年(平成19年)1月10日には飛騨市神岡振興事務所内に神岡鉄道再開準備室を設け、船坂市長は2008年5月には観光鉄道として再開させたいと表明していました。さらに設立してから5年後の黒字を目指すとしていました。
しかし、2008年(平成20年)2月の飛騨市長選で、船坂市長は観光鉄道化に反対する井上久則候補に敗れてしまいました。
井上新市長は神岡線の運行再開には当初から批判的で、運行再開はきわめて困難な見通しです。

現在の城川原駅 以前はJR富山港線の駅だった
現在の城川原駅 以前はJR富山港線の駅だった
もうひとつ富山県内にある国鉄・JR線で廃止になった路線として富山港線があります。
富山港線は、2006年(平成18年)3月1日にJR線としては廃線となりましたが、同年4月29日には第3セクター鉄道として富山ライトレール富山港線となり存続しています。その際に富山駅北-奥田中学校前間1.1kmを路面電車化し、日本で初めての本格的LRT路線として登場し、各方面から脚光を浴びています。これまでさえないローカル線だった富山港線が、一躍スターに躍り出たと言えます。
富山港線はJR線としては廃線になっていますが、一部路線が変更されたとはいえ、第三セクター化されて運行を再開しているため、実質的には廃線とは言えないため廃止路線には含めません。
現在、JR富山駅が新幹線乗り入れに伴う高架化工事に入っていますが、富山ライトレールと富山市内軌道線が高架下で接続される予定です。富山駅北駅も高架下に移設されるとのこと。これも新線建設のうちに入るでしょう。
しかし運賃はどうなるのか・・・。全線通しで200円なら上出来ですが・・・。
富山ライトレールは、7.6km、富山市内軌道線は、6.4kmですが、ちょうど富山駅前で半分の距離なので、南富山駅前、大学前のどちらに向かっても約11km程度の距離なのです。現在の料金収納システムだと一律料金にしないと難しいでしょうからこのまま200円でいいのでは・・・。
八ヶ山駅跡 現在はバス専用線が通るバス停です
八ヶ山駅跡 現在はバス専用線が通るバス停です
次は私鉄線ということになりますが、全線廃止された私鉄の鉄道路線は3路線あります。
まず富山地方鉄道の廃止路線としては、射水線笹津線があり、いずれも経営不振から全線廃止となっています。
加越能鉄道の廃止路線としては、加越線石動-庄川町間19.9km)が全線廃止となっています。
廃止された私鉄3路線は、いずれも経営不振が原因と考えて良いのですが、それぞれ事情は異なります。
まず射水線は、元々は六渡寺-新富山間19.9kmであったものが、富山新港の建設により1966年に分断されてしまい、西側が六渡寺-越ノ潟、東側が新富山-堀岡間となって、西側は加越能鉄道に譲渡されて新湊港線になり、東側は新港東口駅を新設して、新富山-新港東口間14.4kmとなって再起を目指しました。
しかし射水線は、新湊市街の中心から外れて、乗り換えも面倒になったために乗客数が激減し、1977年8月31日から富山市内軌道線に乗入れを実施して立直しを図りましたが、やはりモータリゼーションの影響もあって乗客数の回復が見込めないために、1980年4月1日にとうとう全線廃止の憂き目を見ました。
これは、廃止された路線の中では極めて珍しいケースに属しますが、路線が分断されると命取りになるということが伺えます。
まあ、モータリゼーションの追い打ちもあったわけですが、射水線は笹津線と違って並行して走る幹線道路がありませんので、路線が分断されなければ今も存続していたかもしれません。
路線跡は、バス専用道や農道、自転車専用道になっています。
射水線に関しては、富山新港によって分断されてしまったのが命取りで復活させようにも・・・。

現在の笹津駅前 ここに地鉄笹津線が乗り入れていた
現在の笹津駅前 ここに地鉄笹津線が乗り入れていた
笹津線は、さらに複雑な経緯があります。1914年に笹津線(富山-笹津間17.6km)が開業し、当初は経営も好調だったのに、国鉄高山本線が開通すると経営が苦しくなり1933年には南富山-笹津間が廃止となり、富山-南富山間は富南鉄道に引き継がれ、やがて富山地方鉄道が引き継いで、不二越線となっています。
ところが富山地方鉄道は1950年に南富山-大久保町間を、1952年には大久保町-地鉄笹津間を開業し、笹津線が復活したのです。一度廃止された路線が復活するのはたいへん珍しいのです。
しかし昭和40年代になるとモータリゼーションが進んだ上に、1969年には国道41号の舗装拡幅改良工事が完成するなどの要因が重なり、乗客数が激減して経営が苦しい状況に追い込まれました。地図を見ると笹津線はほとんど国道41号線と並行して走っているのがわかりますね。これだと自動車にはとても太刀打ちできなかったでしょう。つまり笹津線は交通の便が良すぎる位置取りが逆に命取りになったと言えます。
1950年から実施していた笹津線から富山市内軌道線への乗り入れも1967年には中止されて、1971年には富山地方鉄道はとうとう笹津線の廃止を表明しました。市町村・沿線住民からの反対はありましたが、1975年(昭和50年)3月31日でとうとう全線廃止されてしまいます。このように数奇な運命をたどった笹津線も2度も廃止の憂き目を見ることになったわけです。
路線跡は、ほとんど一般道となっていて一部遊歩道になっています。
しかし、現在の富山市南部のベッドタウン化を考えると笹津線をLRT路線として復活させるという計画もおもしろそうだという気がします。もちろん南富山駅から富山市内軌道線に乗り入れるのですが。モータリゼーションが黄昏を迎えている現在なら成功するかもしれませんよ。LRTならば今の路線跡の県道を拡幅して道路脇に線路を敷くだけですから、それほどコストもかからないでしょう。

加越線最大の遺構 城端線の上をまたぐ跨線橋
加越線最大の遺構 城端線の上をまたぐ跨線橋
加越能鉄道加越線は、1915年に福野-青島町(のち庄川町)間が開業、1922年に石動-福野間が開業しています。
私鉄としては珍しく非電化路線でしたので、当初は蒸気機関車を使用していましたが、1931年にはガソリンカー3両を導入し、さらにディーゼルカーを1937年までに3両導入しています。
1943年(昭和18年)には交通大統合で富山地方鉄道に合併されて、1950年(昭和25年)には加越能鉄道設立の際に同社に譲渡されています。
加越線は庄川水系のダム建設の資材運搬があるうちは好調でしたが、ダム建設が終わると元々人口が多い地域ではないこの路線の乗客数は減少し、不況も加わって営業不振に陥っています。1959(昭和34年)年には富山地方鉄道が当時は優良路線であった高岡軌道線を加越能鉄道に譲渡して、救済しようとしました。
しかし経営は改善されず、ついに1972年(昭和47年)9月15日で全線が廃止されてしまい、翌日よりバス路線に転換されています・・・。と公式見解では言われていますが、実際のところは加越線の収支係数は昭和45年時点で118と現在の目で見れば、それほど悪化していたわけではなく、やけに見切りが早いなあと言うのが正直な感想です。確かに赤字が続いていたのは事実ですが、当時は第三セクターという概念がまだ確立されていなかったのとコストの安い路線バスに早めに切り替えて赤字を解消したかったのだと考えることができます。しかしこれに限りませんが鉄道をコスト面だけで考えるのはいかがなものかと思います。鉄道のない街は寂れるのが常識ですから。
加越線の路線跡はほとんど自転車専用道として残っていますので、自転車で全線制覇するのは容易です。
加越線の廃駅のうち、旧・井波駅は木造寺院風建築の駅舎で風格があり、今では登録有形文化財に登録されています。現在は物産展示館としてバス待合室としても使用されています。
また福野駅へ入る直前で城端線をまたぐ跨線橋は現在も残っています。
富山県内にある私鉄の鉄道路線で廃止された路線の総延長は、46.3kmとなります。

西町駅では以前は軌道が十字に交差していました
西町駅では以前は軌道が十字に交差していました
廃止された軌道路線としては、富山地方鉄道富山市内軌道線の一部と、加越能鉄道伏木線があります。
富山市内軌道線では、東部線(西町-中教院前-地鉄ビル前間1.9km)、西部線(西町-丸の内間0.9km)、山室線(中教院前-不二越駅前間1.0km)が全線廃止となっています。
また呉羽線の一部(大学前-呉羽公園間1.0km)も廃止となっています。
加越能鉄道高岡軌道線では枝線である伏木線(米島口-伏木港間2.9km)が廃止されています。ただし、この路線は実質的には線路の付け替えにより本線が変更され枝線になったために廃止されたと考えた方が良いでしょう。
富山県内にある軌道路線で廃止されたのは7.6kmとなります。金沢市では金沢市内線が全廃されているのに比べると軌道線を極力維持しているのが分かります。
これらは、いずれもモータリゼーションの影響を受けて、次第に不採算となり、順次廃止されたと考えて良いでしょう。
加越能鉄道の高岡軌道線と新湊港線も経営不振から廃止されるところでしたが、第三セクター万葉線として存続することになり現在も運行しています。
富山市内軌道線は、平成21年12月23日に富山都心線が開業し、既存路線と併せて環状線化されていて、今後が期待されます。環状線用車輌として新型LRV「セントラム」が投入されています。

ということで、富山県内で廃止された路線の総延長は、54.0kmとなります。
現在、富山県内で存続している在来路線の総延長は、312.4kmです。廃止率は14.7%となります。
ただし、富山県にはこれ以外にも北陸新幹線、ケーブルカー、トロリーバスの路線を持っていますが、ここでは含めません。
北陸3県の他県と比べると私鉄路線を極力維持していることが伺えます。

廃止路線一覧
種別 路線名 区間 総延長 軌間 単複 架線電圧 閉塞方式 最終廃止日
鉄道 富山地方鉄道射水線 新富山 - 新港東口 14.4km 1,067mm 単線 600V直流 スタフ閉塞式 1980年4月1日
富山地方鉄道笹津線 南富山 - 地鉄笹津 12.4km 1,067mm 単線 600V直流 タブレット閉塞式 1975年4月1日
加越能鉄道加越線 石動 - 庄川町 19.5km 1,067mm 単線 非電化 特殊自動閉塞式 1972年9月16日
軌道 富山市内軌道線 東部線  中教院前 - 地鉄ビル前 1.4km 1,067mm 複線 600V直流 自動閉塞式 1984年3月31日
西町 - 中教院前  0.5km 1,067mm 複線 600V直流 1972年9月21日
西部線 西町 - 丸の内 0.9km 1,067mm 複線 600V直流 1973年3月31日
山室線 中教院前-不二越駅前 1.0km 1,067mm 複線 600V直流 1984年3月31日
呉羽線 大学前 - 呉羽公園   1.0km 1,067mm 単線 600V直流 1969年10月1日
加越能鉄道伏木線 米島口 - 伏木港  2.9km 1,067mm 単線 600V直流   1971年9月1日

富山県内の鉄道路線の推移
参考データ
種別 路線名 区間 総延長 軌間 単複 架線電圧 最終廃止日 閉塞方式
鉄道 神岡鉄道神岡線 猪谷 - 奥飛騨温泉口 19.9km 1,067mm 単線 非電化 2006年12月1日 スタフ閉塞式
富山県内の廃止路線マップ

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